張本勲サンデーモーニング今日の発言関口さんへ喝!視聴者の反応は?

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こんにちは。先週のサンダーモーニング 週刊御意見番での張本勲氏は「小園のバットの握りが悪い!」今日は「清宮のグリップ」についてもの申していましたが、ついに関口さんにも喝!毎回色々と話題になる張本勲氏。そんな張本さんに視聴者の方はどのように思われているのか?色々と調べてみました。

 

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サンダーモーニング『週刊御意見番』

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TBS系情報番組「サンデーモーニング」(日曜前8・00)は、1987年10月4日に「関口宏のサンデーモーニング」としてスタートして以来31年になります。

“喝”でお馴染みの人気コーナー「週刊御意見番」の、故・大沢啓二氏と張本勲氏(77)の名コンビはダブルブッキングによって偶然誕生していたそうです。

「週刊御意見番」は1週間のスポーツの出来事を振り返りながら、ご意見番が「喝」「あっぱれ」と物申す名物コーナー。現在はレギュラーの張本氏が週替わりゲストと共に、歯に衣着せぬ言葉で紹介されるニュースを斬っています。張本氏は野球教室などで都合が合わず、スタジオ入りできなくとも、中継映像を用いた“バーチャル張さん”で登場するなど、番組にとって欠かせない存在。

番組制作プロデューサーの西野哲史氏は、張本氏の大きな影響力を持つ1つ1つの言葉について「張本さんは当然のことながら野球をこよなく愛しておられますが、その他のスポーツ、あるいはアスリートへの深い思いもよく感じます。その思いがあるからこそ、ご意見番として、さまざまな直言を続けることが出来るのだと思います」と分析。喜寿を迎えてなお、バイタリティーあふれる姿を目の当たりにし「何事も素早くこなし、しかもパワフルなことにいつも驚かされます。風邪を引くことも全くないそうです」と驚きを隠せない。

そんな張本氏と当番組で長年コンビを組んでいたのが2010年10月に78歳で亡くなった大沢氏だった。球界の“親分”として広く慕われた大沢氏と日本プロ野球通算安打記録を持つ張本氏、互いに大御所だけにもともとは交代で1人ずつ番組に出演していた。しかし、ある放送でダブルブッキングとなる手違いが起き、偶然にも2人の共演が実現。視聴者からの大反響を呼んだため、以後は毎週2人に出演してもらう運びになったという。

このような歴史の中で今の「週刊御意見番」があるのですが、ここ最近は張本勲氏の発言は色々と物議を醸し出しています。

 

張本勲(はりもと いさお)

「張本勲(はりもと いさお)」の画像検索結果

 

国籍 大韓民国
出身地 日本 広島県広島市
生年月日 1940年6月19日(78歳)
身長
体重
181 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1959年
初出場 1959年4月10日
最終出場 1981年10月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
  • 広島県松本商業高等学校
  • 浪華商業高等学校
  • 東映フライヤーズ
    日拓ホームフライヤーズ
    日本ハムファイターズ (1959 – 1975)
  • 読売ジャイアンツ (1976 – 1979)
  • ロッテオリオンズ (1980 – 1981)
コーチ歴
  • 日拓ホームフライヤーズ (1973)

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バットを高く構えて捕手寄りに倒して始動し、水平に振り抜く独特の打法から、右へ左へと自在にボールを打ち分けた。このため上記の「安打製造機」のほか、「広角打法」、「スプレー打法」、「扇打法」という代名詞でも知られた。元パ・リーグ事務局長の村田繁は張本について、「広角打法の最高峰を極めた打撃王であると認定していい」と評している。通算RCWIN傑出度では王貞治に次ぐ歴代2位の数値を記録するなど、打撃面においては歴代屈指の成績を残した。猛打賞も歴代1位の251回を記録。

東映入団1年目から20年連続シーズン100安打以上を放っており、打率3割以上を16回マークした。脚も速く、下記のタイトル同様に盗塁王を獲得したことはなかったのもの1963年に41盗塁(広瀬叔功の45に次ぐ2位)したのを筆頭に、通算で319盗塁を記録している。通算500本塁打以上かつ通算300盗塁以上を記録しているのは張本のみ。

現役時代は多くのシーズンで首位打者以外のタイトル争いにも絡み、毎年打撃部門で上位に位置していたが、本塁打王と打点王のタイトルは1度も獲得できなかった。通算1676打点は、打点王のタイトルを獲得していない選手の中では史上最多である。

このように張本勲氏は本当に優れた野球人でした!

 

そして張本勲氏の生い立ち等がすさまじく、なぜ物議を醸し出すような発言をするのか?はこの生い立ち等が関係しているように思います。

 

幼少期に大火傷を負っていて右手以外は完治したものの、一番怪我をした右手のみに後遺症が残り、親指・人差し指は完全に伸びず、薬指と小指は癒着したままである。野球を本格的に始めてからは誰にも見せないようにしていた。NHKの番組で張本の右手を取り上げる企画が予定されたが、張本は拒否。その後、NHKの解説者を務めていた川上哲治にだけ、現役引退後の座談会で右手を見せたが、川上は「よくもそんな手で…」と涙を流しながら絶句していたという

子供の時から体が大きく、ガキ大将としていつも大勢の子分を連れて歩いた。広島市立比治山小学校5年のときに町内の野球チーム(同世代のチームではなく、社会人が趣味で集まっていたチーム)に誘われたのをきっかけに野球を始める[。当初は右投げ左打ちだったが、右手の怪我の影響で変化球を投げづらかった(鷲掴みにしか出来ない)ことから、サウスポーに転向。利き手を変える大改造を行なった。

水泳が一番得意だったが、進学した段原中学校には水泳部がなく、仕方なく野球部に入部。段原中時代の2年生のときにレギュラーになり、エースで4番打者として広島県大会で優勝した。中学時代は野球とケンカに明け暮れ、『仁義なき戦い』のモデルになったような人たちにも憧れ、「あのまま広島にいたらヤクザになっていたと思う」とも話している

この頃、広島カープの当時の本拠地・広島総合球場の場外の木によじのぼり、よく試合の無料見物をしていたという。その折に覗き見た読売ジャイアンツの宿舎の食事風景が、その後の張本の人生を大きく変えることとなった。戦後の物資不足や飢餓をまだ引きずる時代に、選手たちは分厚い肉を食べ、桐箱に入った贈答品として当時は珍重されることも多かった生卵を3つも4つも茶碗に放り込んでいたのである。以来、張本のプロ野球選手への憧れは増大し、「トタン屋根の長屋から抜け出すにはこれしかない」、「母親に広い家をプレゼントする」、「美味しい食べ物を腹一杯食べる」という夢を胸に来る日も来る日も自宅近くの猿猴川土手に吊るした古タイヤに向かってバットを振り続け、野球へと打ち込んでいったそうです。

このような思いをしてプロ野球選手となり、結果を出した張本氏だから、今の選手達を見ると歯がゆく感じるのだと思います。

 

視聴者の反応は?

多くは張本氏の発言に否定的な意見が多いのですが、逆にこんな声も。

 

なんやかんや言っても、張本氏の発言はどんな事を言うのか?楽しみにしている方も多いようです。

 

まとめ

今日のサンデーモーニング週刊御意見番でついに関口さんへ喝!面白すぎます~♪張本氏の発言については今までも本当に様々な物議を醸し出してきましたが、張本氏の生い立ち等を調べてみると少し納得するような気がします。

来週はどのような喝!が聞けるのか? 楽しみです~♪

 

コメント

  1. […] […]