2021年5月19日に星野源さんは新垣結衣(ガッキー)との結婚を発表しました。
星野源さんの結婚報告のコメントに「以前、こんな風に畏まった形でご報告したのは、病に倒れて活動を休止した時だったと思います。」と言われています。
この病に倒れて芸能活動を休止した原因はくも膜下出血でしたが、実は幼少期から病気があったそうです。
そんな星野源さんのこれまでの病気についてまとめてみました。
星野源さんと新垣結衣(ガッキー)との馴れ初めから結婚そして妊娠・出産についてはこちらの関連記事をお読みください。
新垣結衣の妊娠・出産はいつ?星野源との馴れ初めから結婚まで!
星野源の病気を総まとめ!
こちらの画像は星野源さんがくも膜下出血で入院中の時の写真です。
痛々しいですが元気そうです。
星野源さんは2012年12月22日にくも膜下出血と診断され活動を休止されました。
しかしこれ以外にも星野源さんはこちらのような違う病気も患っていました。
・モニカ病
・パニック障害
・不安神経症
それから病気とは言えないかも知れませんが、2019年12月にワールドツアー中、ニューヨークからの帰りの飛行機で「耳介血腫」を発症しています。
「耳介血腫」とはいわゆる「餃子耳」とか「力士耳」などと言われ、本来はコンタクトスポーツ(ラグビーや柔道・相撲など)をする選手がなります。
しかし星野源さんは飛行機の中での気圧の変化で起こったようで、やはり血管の問題があるのかもしれませんね。
(画像引用:https://kamiyacho-as.com/blog/?p=804)
星野源さんは麻酔無しで治療したそうで相当痛かったそうです。
くも膜下出血のエピソード:2012年(31歳)
星野源さんは2012年12月22日体調不良のために病院へ行くと、くも膜下出血と診断され、手術をされました。
星野源さんはその当時のことをこのように語られています。
星野が倒れたのは2012年12月、楽曲制作とレコーディングが無事に終わった直後のこと。
「スタッフ皆で拍手をしていると、急に目の前がぐにゃっと曲がった」「バットで頭を殴られたような痛みとともに、立っていられなくなり」、救急車で運ばれた病院で聞かされたのは、くも膜下出血という病名。
手術前に担当医は本人に「絶対に助かります」と力強く宣言したが、周囲の人には「後遺症の可能性も含め、全快の可能性は低い」と言っていたというから、重篤な状態だったことがうかがえる。
そして、術後に星野を襲ったのが、“生きるための苦しみ”。
食べ物はもちろん水も飲めず、「爆発的な」頭の痛みだけが、ただただ続く。
動けないストレスからか、神経が過敏になり、ほかの患者の息遣いや機械の音が気になって眠ることもできない。
「24時間、不眠不休で痛みと神経過敏に耐え続ける。それが三日間続いた」と、想像を絶する過酷な状況だったのだ。
引用:http://news.livedoor.com/article/detail/8914623/
このように後遺症を含め全快の可能性は低いと言われていた中、奇跡的な復活をされました。
しかし星野源さんはくも膜下出血で倒れたことで良かった!と思えることがたくさんあったそうです。
・音楽が新鮮に聞こえるようになった。
・何を聴いても楽しい。
・何を見ても面白い。
このように死を意識してモノの見え方・聞こえ方が変わったそうです。
星野源さんはこの経験から「人はいつか死ぬ。それが身近に分かったので、周りの目を気にせず、より好きな事をやっていきたい」と思うようになったそうです。
経過は順調で2013年2月28日に芸能活動を再開します。
3ヶ月の復帰は凄いですよね。
しかし、2013年の6月の定期検査で問題が見つかり再手術の必要が指摘されます。
こちらの動画は星野源さんがくも膜下出血になってからの状況を語っています。
2度目の手術の際は笑福亭鶴瓶さんに相談し、スーパードクターを紹介して貰えました。
そのスーパードクターが『匠の手』上山博康医師です。
星野源さんは『匠の手』上山博康医師のおかげで元気になれたようです。
本当に凄い先生です。
その頃は星野源さんはaikoさんと交際しており、aikoさんの献身的な支えがあったからくも膜下出血から復活できたような気がします。
aikoさんと星野源さんは2009年頃から交際されていたようで一時は結婚?の噂も出ましたが、星野源さんが2015年に二階堂ふみさんに乗り換えた?と報道されます。
こちらの熱愛報道が出たのが2015年で、aikoさんとは2014年頃に別れたのでは?と言われています。
その後も星野源さんとaikoさんは復縁説が流れますが、2021年5月新垣結衣(ガッキー)さんと結婚されましたね。
モニカ病のエピソード:2012年(31歳)
(画像引用:Twitter)
こちらの画像は星野源さんが2012年に「笑っていいとも」でモニカ病について初めて語った時の様子です。
他にも「ぴったんこカンカン」で安住アナウンサーとも語りあいます。
(画像引用:Twitter)
安住アナウンサーもモニカ病に罹ったことがあるようです。
モニカ病とは星野源さんが勝手に命名した病名で、専門的には「突発性肛門痛」と呼ばれるようです。
(画像引用:Twitter)
こちらの画像は安住アナウンサーと星野源さんの「モニカ病」のやり取りです。
「モニカ病」(突発性肛門痛)の具体的な症状はこちらです。
・就寝の一番深い眠りのときに突然肛門と男性器の間、いわゆる「アリの門渡(とわた)り」付近になんの前触れもなく突然、つったような激痛が走る症状のようです。
星野源さんがモニカ病と名付けたのは、痛がっている様子が吉川晃司さんが『モニカ』を歌っている時の動きにすごく似ているからなんとなくモニカ病って付けたそうです。
こちらは吉川晃司さんです。
そしてこちらが星野源さんです。
「モニカ病」(突発性肛門痛)の原因ですがハッキリしたことが分かっていません。
ただ精神的ストレスなども関係しているようです星野源さんは、幼少期から精神的な問題を抱えていました。
パニック障害・不安障害のエピソード:幼少期~少年時代
芸能界にはパニック障害や不安神経症を患っている方が多く、星野源さんは小学校の時から精神的に不安定だったようです。
と言うのも学校という集団生活が苦手だったようです。
その事について星野源さんはこちらの動画で語られています。
小学校3年生の時に、う〇こを漏らしたそうで、大変な幼少期だったようです。
こちらの動画でも、う〇こ漏らしについて語っています。
2分43秒辺りからご覧下さい。
本当に学校が嫌いだったようです。
こちらの動画ではパニック障害を克服した時の事を語られています。
4分当たりからご覧下さい。
小・中・高校生時代は感情が出せない状態だったそうです。
パニック障害と言うより少し鬱傾向のようですね。
高校2年生の時に竹中直人さんが監督をした映画「東京日和」を見て、感情崩壊し涙が止まらなくなったそうです。
東京日和
この映画を見てから逆に心を病んで学校に行けなくなったそうです。
我慢していた感情があふれ出て辛くなったとの事。
未だに映画「東京日和」を見ると自然と涙が出るそうです。
星野源さんは幼少期からイジメに遭っていてずっと精神安定剤を飲みながら学校に通っていたそうで、本当に辛い幼少期から少年時代だったようです。
そんな時クレージーキャッツの「だまって俺についてこい」の曲を聴いて救われたそうです。
“そのうちなんとかなるだろう”という歌詞が心に響いたそうです。
その当時のことを星野源さんはこのように語られています。
「当時の自分は完全に絶望していて、俺はこれから完全に狂ってしまうんだと思ってたときに、『そのうちなんとかなるだろう』ってあの声で歌われたときに、これを信じるしかないというか。
(中略)自分にとっては、物凄い命綱みたいなもんだった」と語る。
その時の思いがあって、自分もそういうことを思ってもらえたらいいなと思うと話す星野。
引用:https://realsound.jp/2014/02/post-317_2.html
星野源さん本当にギリギリのところまで追い詰められていたようですね。
星野源さんは幼少期から感受性の強い子だったのでしょうね。
だから繊細な歌詞がかけるような気がします。
【画像】星野源の幼少期から高校時代がオタクすぎる
(画像引用:Twitter)
こちらの画像は2歳の時の星野源さんですが、普通な感じですよね。
星野源さんは1981年1月28日生まれで2021年5月現在年齢は40歳です。
埼玉県蕨(わらび)市出身で、実家は八百屋を営んでおり、お父さんは趣味でジャズピアノをしていて、お母さんはジャズボーカリストを目指していたそうです。
星野源さんは一人っ子で3人家族です。
(ご両親は2006年にジャズ喫茶「Signal」を開店しますが2016年に閉店)
このような環境で育った星野源さんは幼少期から音楽に慣れ親しんでいたようです。
だから感受性が強かったのでしょうね。
こちらの画像は4歳の時の星野源さんですが泣き顔がかわいいですね。
(画像引用:Twitter)
星野源さんの通った小学校は埼玉県川口市内の前川小学校です。
こちらは小学生になる前ですが、元気そうな普通の子供ですよね。
しかし小学校3年生の時から少し変わってきます。
こちらの画像は小学校3年生の時の写真ですが、笑顔ですが少しキモいですよね。
こちらの画像はメガネを掛ける前ですが、少し闇がありそうな顔になっていますよね。
小学校3年生の時に学校でう〇こを漏らしてしまい、イジメに遭います。
ここから学校に行きづらくなりますが、我慢して学校へ行き感情を表に出せなくなります。
星野源さんは小学校卒業後、埼玉県飯能市の自由の森学園中学校へ進学します。
おそらくですが、小学校でイジメに遭っていたので私学に行ったのではないでしょうか?
こちらの画像は中学2年生の時の写真です。
ロン毛で少しキモいです。。。
星野源さん自ら中学1・2年生の時は「クソおたく」だったと語られていて、メガネを掛けたロン毛で毎日学校へ「名探偵コナン」を3刊ずつ持っていていたそうです。
本当にヤバイですよね。
キモすぎます。。。
こちらの画像は中学3年生の時でしょうか?
髪を切って少しカッコ良くなりましたね。
高校は中学からそのまま上がり、自由の森学園高校へ
こちらの画像は高校時代の星野源さんですが少し笑顔が見られますね。
星野源さんは高校3年生の時に3ヶ月くらい精神的に病んで3ヶ月ほど学校に行けなくなります。
これが映画「東京日和」を見た後だったのでしょうね。
しかし高校卒業後、高校時代の先輩・後輩とバンド『SAKEROCK(サケロック)』を結成し、今の星野源に至ります。
本当に幼少期からずっと病気をされてきた星野源さんですが2021年5月に新垣結衣(ガッキー)さんと結婚し本当に良かったです。
結婚してからは病気にならないように体調管理をしっかりと行わなければいけませんね。
まとめ
星野源の病気を総まとめ!幼少期から高校時代は精神的に病んでいた!について記事にしました。
結婚してからは病気しないように気を付けないといけませんね。
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