宮澤崇史(24時間テレビ『絆のペダル』)の経歴とプロフ!お母さんはどんな人?

ドラマ
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こんにちは。人気グループ「嵐」が7月8日、東京・汐留の日本テレビで開催された、8月24~25日に放送される同局系のチャリティー番組「24時間テレビ42 人と人 ~ともに新たな時代へ~」の制作発表会見に出席。相葉雅紀さんが初めて、番組内のドラマスペシャル「絆のペダル」で主演を務めることが発表されましたが、そのモデル宮澤崇史さんの経歴とプルフィールそしてお母さんはどんな人だったのか?調べてみました。

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絆のペダル

ドラマは、元ロードレーサーの宮澤崇史さんと、母親の絆を描いた。宮澤がプロになり日本一の夢をかなえる直前、母が肝臓を患い倒れてしまった。命を守るには生体肝移植が必要だが、それは選手生命を失うことと同義だった……という内容で詳しくはドラマを!

宮澤崇史(みやざわ たかし)経歴とプロフィール

「宮澤崇史」の画像検索結果

愛 称 :ブラーヴォタカシ

生年月日:1978年2月27日(41才)

出身地 :長野県

最終学歴:長野工業高等学校

身長体重:164cm,61kg

3歳の頃から毎日のように自転車に乗り、野山を駆け巡ったそうで、6歳のときに父を病気で失い、移り住んだ家には当初、電話がなかったが、頼りの祖母の家へは、往復五キロメートルの道のりを自転車で行き来し、伝言を届けたそうです。

「遠いのに、よう来たねえ。」と目を細める祖母の言葉がうれしくて、用事を見つけては往復したとの事。

中学生になると、サッカー部の応援の帰りに電車で帰途につく友人たちに「自転車で先に着いてみせる。」と宣言し、笑って取り合わなかった彼らを終着駅で出迎えて驚かせたこともあったそうです。

 「プロになれば、大好きな自転車を仕事にできるぞ!」

そのときから「プロのロードレーサーになる」という宮澤さんの大きな夢を持ち続けたそうです!

自転車に「レース」というものがあることを知ったこの頃、宮澤さんは近所の山でマウンテンバイクの大会が行われることを聞いて、「この大会に出てみたい。」と思ったが、なかなか言い出せなかったそうです。というのも大会に出るためには、普通の自転車とは異なる競技用の自転車が必要だったからです。

一つ年上の姉と崇史、幼い子供二人を抱え、宮澤家の家計は母の純子さんが一人で支えていた。

暮らし向きは決して楽ではなく、高価な競技用自転車が買えないことくらい、中学生の宮澤さんにもわかっていたが、その時お母さんは、

「崇史、大会に出てみなさい。自転車は母さんがなんとかするから。」

と言って、数日後、マウンテンバイクを用意してくれたそう。

そして人生初の自転車競技に出場したが、結果は二十七位。

この大会をきっかけに、宮澤さんは自転車競技にのめり込み、競技者としてめきめきと頭角を現すようになりました。

高校卒業後、2年間イタリア留学をし、日本を代表する名選手で監督の大門宏さんのもとで自転車競技を学びます。

宮澤崇史さんは、イタリア留学終了後、大門宏さんが監督を勤める日本鋪道(現NIPPO)に入社し、市民大会や実業団の大会で優勝しますが、競輪学校受験のために一時競技生活からから離れます。

競技生活から離れた後復帰しようというときに、母親が「移植手術を受けなければ死に至る」と宣告を受けてしまいます。

宮澤さんは、自分の肝臓を母親に提供(23歳の時)することにしました。しかし、それは自転車競技者としての人生を捨てるようなものでした。

肝臓の約半分を母に捧げた宮澤崇史さんは、体力が低下し成績も振るいませんでした。そして戦力外通告を受けチームを解雇されてしまいます。

単身でフランスに渡り、アマチュアチームで再びゼロからスタートしました。そして、地道で過酷な練習を積み重ね、ついに

  • オリンピック出場
  • アジアチャンピオン獲得
  • 全日本チャンピオン獲得

などを達成そして、

34歳の時世界で最もカテゴリの高いUCIワールドチームに所属し、

  • リーダージャージ(個人総合時間賞)
  • ポイントジャージ(スプリントポイント賞)

日本人選手として初めて袖を通しました。

生体肝移植の専門医がいうには” 生体肝移植を受けてトッププロまで復帰したほぼ唯一の例 ”との事です!

18年間の海外レース活動を経て、2014年に引退

現在は、

  • リオモ・ベルマーレ レーシングチーム監督
  • LEOMO.incウェアラブル端末のアドバイザー

という肩書きとともに、

レース解説、若手選手の育成・指導、社会貢献活動、講演会、全国各地でのサイクリングイベントなどなど多岐にわたって活動しています。

宮澤崇史 生体肝移植の経験を語る【シクロチャンネル】

宮澤崇史さんのお母さんとはどんな人?

息子の晴れ舞台を見届けて笑顔を見せる宮澤純子さん (上野嘉之撮影)

名前:宮澤純子(みやざわ じゅんこ)

生年月日は不明ですが、2014年の時66歳でしたから、現在は71歳前後と思われます。

宮澤崇史さんが、6歳の時にご主人が亡くなり女手1つで崇史さんと一つ上のお姉ちゃんを育てる。

上述したマウンテンバイクの大会で、困っていた崇史さんの為に、知人に息子の夢を語り、必死に事情を説明して、人づてに競技用自転車を借りてきてくれたそうです。

子供も為に本当に凄く尽くすタイプの方だったのだと思います!

そして、高校卒業後イタリア留学を果たす時も家計を考え、留学を躊躇していた宮澤さんの、その背中を押してくれたのも、やはり母純子さんだったそうです。純子さんは限られた給料の中から生活費を切り詰め、息子の留学費用を工面。

息子の夢は、母純子さんの夢でもあったそうです!

本当にこんなお母さんの為だから命を差し出す覚悟が出来たのでしょうね。

崇史さんが21歳の時に母純子さんが、重い肝臓病で倒れ、「生体肝移植をする以外に、治療法はありません。」 と医師から告げられたそうです。

生体肝移植は、健康な提供者(ドナー)から肝臓の一部を切り取り、患者(レシピエント)に移植する大手術である。

提供者は、肝臓の三十パーセントから七十パーセントを切り取られることになり、手術前後の検査を含め、長期の入院、通院を余儀なくされる。そして、移植を受けた患者は、術後、合併症の恐れがあり、命を落とす場合もあった。

生体肝移植は、提供者と患者の双方に多くの危険を伴う手術だったが、以前から患っていた肝臓病がさらに悪化してしまった純子さんには、これ以外に生きる道はなかったそうです。

以前から肝臓病を患っていたという事は、もともとウイルス性肝炎があったのか過労か?ですね。

女手1つでずっと頑張ってきたから無理がたたったのでしょうね。。。

その時宮澤さんは、ためらうことなく「僕の肝臓を移植してください。」と言ったそうですが、お母さんは息子さんの事を思ってずっと拒絶していたそうです!

お母さんは知っていました!

この申し出を受けるということは、息子のロードレーサーとしての選手生命を奪うことになる、ということを。

肝臓は、体内で最も大きな臓器であり、再生可能な臓器で、切り取られる提供者の体への負担は小さくない。ましてや、生体肝移植後、第一線で活躍したプロアスリートは、 世界に例がなかった。これからいっそうの飛躍が期待される二十三歳という年齢で、息子の夢が絶たれることを、母はどうしても容認できなかったのだ。

互いの思いがぶつかり合い、時間だけが過ぎていく。とはいえ、純子さんの病状は、それほどの猶予を許さなかった。

そして覚悟を決めた宮澤さんは、きっぱりと言った。 「母さん、僕のために移植をしてほしいんだ。」と伝えお母さんは手術する事にし、移植手術は無事成功。

本当に素晴らしいお母さんです!

ツールドフランスさいたまクリテリウムのレース後、宮澤崇史をねぎらう純子さん (上野嘉之撮影)

まとめ

宮澤崇史(24時間テレビ『絆のペダル』)の経歴とプロフ!お母さんはどんな人?について記事を書きましたが、本当に素晴らしい親子ですね!ドラマの方も楽しみです!涙が溢れそうですが~

 

 

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