「X JAPAN」のドラム、ピアノとして、また音楽家、音楽プロデューサーなど多方面で活躍するYOSHIKI(よしき)さん。
日本だけでなく世界で活躍されていますが、コロナ禍でできなかったイベントが2022年から少しづつ再開されています。
2022年9月17日~9月19日には4年振りにフルオーケストラとのクラシックコンサートが日本で行われる予定です。
実家は呉服屋を営み、裕福な幼少期だったようですが、若い頃(昔)、YOSHIKI(よしき)さんはどのように過ごしてきたのでしょうか。
YOSHIKI(よしき)さんの若い頃から現在に至るまで、時系列に紹介します。
YOSHIKI(よしき)さんの実家のご家族についてはこちらの関連記事をお読み下さい。
YOSHIKIの実家の家族構成は4人!弟・林光樹は元俳優!
【画像】YOSHIKIの若い頃|(昔)幼少期~高校時代まで
画像左が子供の頃のYOSHIKIさん、右が弟・林光樹さんです。
後ろに帯や着物が見えているので、実家の呉服屋さんで撮った写真かもしれませんね。
YOSHIKIさんは、若い頃どのようにして過ごしてきたのでしょうか?
昔のYOSHIKIさんを幼少期から高校時代まで時系列に紹介します。
YOSHIKIの幼少期
画像は幼稚園の頃のYOSHIKIさんです。
YOSHIKIさんの実家は地元では有名な呉服屋を営んでおり、家には家政婦がいたそうです。
幼少期は経済的に裕福な家庭だったようですね。
YOSHIKIさんは千葉県にある「館山市立北条幼稚園」に通っており、ここでTOSHIさんと出会います。
2人の出会いはこの北条幼稚園の「すみれ組」だったそうです。
12歳からテレビで観て以来、X JAPANのYOSHIKIが推し。
もう、32年のファン歴。
YOSHIKIのことは大抵は知ってる。
ボーカルのToshlとは幼なじみで幼稚園から一緒でToshlとYOSHIKIは「すみれ組」と呼ばれてます。
すみれ組の絡み見てると2人結婚してくれないかなあー、なあんて思ってしまうくらい文字数— 杏梨~あんり~(杏梨♥愛之助CP) (@anritoainohibi) June 15, 2021
ファンの間では有名な話ですよね。
2022年現在、YOSHIKIさんとTOSHIさんの付き合いは50年以上になります。
またYOSHIKIさんは父の影響で4歳からピアノを始めます。
YOSHIKIさんは幼少期の頃、小児喘息を患い、発作のたびに入退院を繰り返していたとか。
とても身体が弱く、ご両親は心配されていたようです。
YOSHIKIの小学校時代
こちら、小学生の頃のYOSHIKIさんとTOSHIさんです。
2人は館山市立北条小学校に通っていました。
4歳からピアノを始め、才能を開花させていたYOSHIKIさん。
9歳で作曲を始めたそうです。
両親に愛され、裕福な幼少時代を過ごしていたYOSHIKIさんですが、10歳の頃に父がなくなります。
死因は「心臓発作」と知らされていたようですが、実際は自〇でした。
父を失った悲しみを癒すべく、音楽にのめり込むYOSHIKIさんですが、クラシックレコードを買いに行ったときに目についた世界的ロックバンド「KISS」のレコードが人生を変えます。
(画像引用:スポニチ)
後に対談や2019年には紅白で共演することにもなるなんて、思いもよらなかったでしょうね!
11歳で世界的ロックバンド「KISS」に影響され、ロックに目覚めたYOSHIKIさんは、ドラムを始めます。
そして小学生でTOSHIさんを含む友達3人とバンド『DYNAMITE』を結成します。
YOSHIKIの中学校時代
画像は中学生のYOSHIKIさんです。
YOSHIKIさんの出身中学校は館山市立第3中学校です。(現・館山中学校)
中学では吹奏楽部でトランペットを吹いていたとか。
中学生の時に父の死因が自〇であると知り、相当荒れたようです。
無理もありませんよね。
その後、「自分はなぜ生きているのか」悩み考える日々が続いたそうです。
このことが影響したのかは不明ですが、徐々に素行が荒れていったそうです。
いわゆる「不良」であったようですが、成績は優秀だったとか。
小学生時のバンドは解散し、新たに『NOISE』というバンドを結成。
小学生の時はギターだったTOSHIさんがボーカル、YOSHIKIさんはドラムとして活動していたようです。
YOSHIKIの高校時代
画像は高校時代のYOSHIKIさんとTOSHIさん。
幼稚園から高校まで同じなんて、かなりの縁を感じますね!
2人の通った高等学校を紹介します。
(画像引用:みんなの高校情報)
画像はYOSHIKIさんとTOSHIさんの通った千葉県立安房高等学校です。
学校名:千葉県立安房高等学校(ちばけんりつあわこうとうがっこう)
所在地:千葉県館山市八幡385番地
偏差値:59(2022年9月現在)
出身有名人:YOSHIKI、TOSHI、鈴木おさむ(放送作家)、高山一実(アイドル・乃木坂46)
偏差値59と学力の高い学校だったようです。
今年も #紅白 の楽屋にあそびに来てくれた。#乃木坂46 @nogizaka46 の #高山一実 さんは俺の高校の素敵な後輩です。みんな応援してあげてね。そして彼女が書いた本 #トラペジウム もよろしく!
from #yoshikihttps://t.co/X5WuxJAfCa pic.twitter.com/khFANuMsHQ— Yoshiki (@YoshikiOfficial) January 2, 2019
YOSHIKIさんが乃木坂46の高山一実さんについて、「高校の後輩」とツイートされていますね。
高校時代、YOSHIKIさんは相変わらず荒れていたようですが、勉強はちゃんとやっていたそうです。
なんと、模試で満点を取ったこともあるとか!
珍しい不良ですよね。
YOSHIKIさんは高校2年生の1982年、バンド「X」を結成。
メンバーの入れ替わりがありながらも、のちの「X JAPAN」となります。
バンド活動をしながら音大への入学を目指し、武蔵野音学大学の推薦も決まっていたそうですが急遽バンド活動を優先し、推薦を断ったそうです。
高校3年生の時に出場したバンドコンテストではYOSHIKIさんが「ベストドラマー賞」を受章したそうです。
この受賞が、バンド活動をやっていく自信に繋がったのかもしれませんね。
【画像】YOSHIKIの若い頃(昔)|X JAPAN結成から解散・再結成
(画像引用:womantype)
小学生で世界的ロックバンド「KISS」に出会い、ロックに目覚めたYOSHIKIさん。
高校2年生でのちの「X JAPAN」になるバンド「X」を結成します。
とはいえ、「X JAPAN」にも山あり谷あり、様々な歴史がありましたね。
「X JAPAN」結成から解散・再結成までを紹介します。
X JAPAN結成当時:1982年(17歳)
「X JAPAN」結成当時、YOSHIKIさんが高校2年生(17歳)でした。
当時は「X」というバンド名で活動しており、メンバーの入れ替わりがあったものの、1992年に「X JAPAN」にバンド名を変えています。
「X」から「X JAPAN」に改名するまでを紹介します。
1981年(15歳):YOSHIKIさん高校入学
1982年:バンド「X」結成
1983年:バンドコンテスト「EastWest」で、ベストドラマー賞受賞
1986年:エクスタシーレコード設立
1988年:アルバム『VanishingVision』発売
1989年:ソニーよりメジャーデビューを果たす
1992年(27歳):バンド名を「X JAPAN」に改名
1986年、YOSHIKIさんはインディーズレーベル「エクスタシーレコード」を設立します。
画像は「X」がエクスタシーレコードから初めて出したシングル「オルガズム」です。
後にGLAYやLUNA SEAもエクスタシーレコードからインディーズデビューし、当時はヴィジュアル系バンドの”インディーズ登竜門”と言われていたレーベルです。
「X」は1988年にエクスタシーレコードから出したアルバム「VanishingVision」がヒットし注目されます。
翌年、ソニーと契約し、メジャーデビュー。
メジャーデビュー作「BLUE BLOOD」は80万枚を超える大ヒットとなります。
バンド名に関して、【X】という文字には無限の可能性という意味があったことと、当時長い名前のバンドが流行っていたこともあり、「X」一文字にこだわったそうです。
「X」は世界進出を考えるようになり、海外に「X」という同じ名前のバンドがあることを知ります。
”日本”を意識して1992年、「X JAPAN」に改名したそうです。
X JAPAN解散:1997年(35歳)
1997年9月22日、「X JAPAN」は解散を発表します。
解散発表の席にTOSHIさんはいませんでした。
TOSHIさんはすでに、1997年4月に脱退していたという理由でしたが、のちにTOSHIさんは記者会見なんて聞いていなかったと主張します。
TOSHIさんとメンバーの関係が上手くいってなかったことを物語っていますね。
そして「X JAPAN」は、1997年12月31日のラストライブをもって解散します。
X JAPAN解散の理由は
1997年9月22日#XJAPAN 解散記者会見
4人だけの会見に
気持ちがついていかない#YOSHIKI さんの言葉が胸を突き刺し#HIDE さん達の最後の言葉に
涙が止まらなかった今も忘れられない日
XJAPANがXJAPANでいてくれる
だけで嬉しいどんな時も
ずっとずっと
全力で応援し続けたい#WeAreX pic.twitter.com/C3nX2fNypL— ookini (@ookiniXJAPAN) September 21, 2021
X JAPANの解散理由について、会見では次のように話していました。
音楽の方向性の違いのため
2022年5月の番組でYOSHIKIさんは、当時を振り返って次のように話しています。
当時はいろんなショックなことが重なって、ミュージシャンを辞めようと思ってた
(引用:yahooニュース)
『いろいろなショックなこと』について大きく2つのことが考えられます。
- TOSHIさんの脱退
- 世界進出の壁が高かったこと
それぞれ詳しくまとめてみます。
X JAPAN解散の理由|TOSHIの脱退
TOSHIさんの脱退の理由は大きく2つあったようです。
- 家族の事
- 世界に対する自信のなさ
このことで不安になり、TOSHIさんは精神的に弱っていったといわれています。
家族について
TOSHIさんは家族について悩んでいました。
当時TOSHIさんの個人事務所社長はTOSHIさんの兄が務めており、「TOSHIさんの兄であり個人事務所社長」という立場で有名になっていった兄は、元々芸能界に憧れていたこともあり社長業を疎かにしてしまいます。
このことで、メンバーや関係者に迷惑をかけ、解雇することに。
さらに、TOSHIさんの母がファンからお金をとっていたことが判明。
このことでも多くの方に謝罪することになり、メンバーに合わせる顔がなかったといいます。
かなり肩身の狭い思いをしていたようです。
世界に対する自信のなさ
当時、YOSHIKIさんの視線は世界に向かっていたそうです。
TOSHIさんは世界で自分の声が通用するか自信がなかったといいます。
僕としては、自分のボーカルの技術や世界進出への思いが足りていないこともあり、自信がなかった
(引用:音楽ナタリー)
X JAPAN解散の理由|世界進出の壁
YOSHIKIさんは当時世界進出を目指していましたが、思ったよりも世界進出の壁は高かったようです。
メジャーデビューから2年も経たないうちに、X JAPANは東京ドームでのライブを成功させていたことで、YOSHIKIさんは世界進出は簡単にできると考えていたようです。
ところが、実際はそう簡単なものではなかったようです。
また、YOSHIKIさんの世界進出にかける思いとメンバーの思いに差が出ていたことも解散の理由の一つであるようです。
世界の壁は高く「メンバーも戸惑った時期だった。それが解散に繋がっていった。
『世界に行くってなんなんだろう?』って、その狭間で途方に暮れたときがありました
(引用:yahooニュース)
TOSHIさんも世界進出に自信がなかったそうですが、他のメンバーもそのような思いがあったようですね。
X JAPAN再結成:2007年(41歳)
1997年に解散したX JAPANですが、2007年10月に再結成の発表をします。
翌年2008年3月28日から3日間、東京ドームで再結成ライブを行いました。
YOSHIKIさんは「XJAPAN」を美しく終わらせるために、一時的に再結成するつもりだったとか。
約10年ぶりの活動に世界中が沸き上がり、その後2008年7月:パリ、2008年9月ニューヨークと世界中でライブを行ったのでした。
1997年にX JAPANを脱退したTOSHIさんですが、当時洗脳されていたことは有名ですよね。
実は、X JAPAN再結成のきっかけの一つとして、TOSHIさんを洗脳していた団体のリーダーから金銭目的の提案があったといいます。
リーダーの方から『X JAPANを再結成してお金を持って来い』」と洗脳グループから金銭目的で命じられたことを明かした。
(引用:東スポ)
この時点ではTOSHIさんはまだ洗脳中にあったようですが、YOSHIKIさんは「関わりあうことで洗脳から目覚めるかもしれない」と思ったそうです。
TOSHIさんがボーカルとして戻り、X JAPANが再結成したことが洗脳から抜け出すきっかけになったことでしょう。
2010年にTOSHIさんは洗脳されていた団体からの離脱を発表しました。
【画像】YOSHIKIの若い頃(昔)|X JAPAN Live 日本公演 2018
(画像引用:音楽ナタリー)
こちらの画像は2018年4月10日~4月11日に行われた
「X JAPAN LIVE 2018 アメリカフェス出演直前 PREMIUM GIGS ~YOSHIKI復活の夜~」
の時のものです。
このライブはYOSHIKIさん復活のライブといわれています。
首にコルセットのようなものをしていますが、どうしたのでしょうか?
YOSHIKIドラム復活
YOSHIKIさんは2018年4月10日~11日のX JAPAN再結成10周年ライブの11カ月前、2017年5月に頸椎人工椎間板置換手術を行いました。
手術後初のワンマンライブでした。
YOSHIKIさんのドラム復活を待ち望んだファンは多かったと思いますが、心配も半分だったでしょうね。
ライブの中で、YOSHIKIさんは次のように話しています。
ステージに戻って来れるとは夢にも思わなくて、ドラマーとしての人生は終わったのかなって。
(引用:音楽ナタリー)
大変な手術であったことがわかりますね。
このライブで、「まだ首の骨はくっついてない」としながらも、客席にダイブしたり、と過激なパフォーマンスを見せたYOSHIKIさん。
逆に心配になったファンもいたかもしれませんね!
X JAPANの活動休止
こちらの画像は2018年9月28日~9月30日に行われたX JAPANのライブ「X JAPAN Live 日本公演 2018~紅に染まった夜~ Makuhari Messe 3Days」です。
このライブの最終日、9月30日は台風による公共交通機関運休と、観客の安全のために急遽無観客でのライブになりました。
WOWWOWでのライブ配信があったそうです。
このライブを最後に2022年9月現在、X JAPANの活動は休止状態にあります。
因みに、アルバムは2016年の『DAHLIA』以来発表されていません。
X JAPANのファンは活動開始の報告を待ちに待っていると思います。
2022年5月、今後について次のように話しています。
コロナとかいろんなことがあって、まだ整理できていない。
でも、アルバムを何年も作っていると言っているように、そういった音源に関しても確実に前には進んでいる。
『どこでいつやる』っていうと、やらなかったときにすごく反応も大きいので、その辺は慎重に…
(引用:yahooニュース)
ちゃんと前に進んでいるとのことなので、ファンは安心して良さそうですね。
決して解散したわけではないようですので、ご安心ください!
【画像】YOSHIKIの現在(2022年)
(画像引用:yoshikinet)
画像は2022年8月11日~8月28日に行われたディナーショーの時のものです。
2022年のYOSHIKIさんの活動は日本ではTV、ディナーショー、クラシックコンサートなど。
海外では2023年公開の映画音楽の作成をされているようです。
2022年8月11日から8月28日まで、11日間20公演のディナーショーを行ったYOSHIKIさん。
ディナーショーは3年ぶりでしたが、昼公演8万円、夜公演10万円という金額にも関わらず、チケットは即完売でした。
2022年9月17日から9月19日まで、YOSHIKIさんは4年ぶりにクラシックコンサートを行う予定です。
こちらのチケットも即完売で、YOSHIKIさんの人気のほどが伺えますね。
【画像】YOSHIKIのプロフィール
YOSHIKIさんのプロフィールです。
(画像引用:biglobeニュース)
本名:林佳樹(はやし よしき)
生年月日:1965年11月20日
年齢:57歳(2022年11月現在)
出身地:千葉県館山市
職業:ミュージシャン、音楽プロデューサー、デザイナー
YOSHIKIさんは音楽活動だけでなく着物のデザイナーもされています。
「YOSHIKIMONO」という着物ブランドはYOSHIKIさんがプロデュースしています。
(画像引用:kimonobijin)
画像は2020年の春夏コレクションです。
実家は祖父の代から呉服店を営んでいただけあり、「着物」に対する思いは特別なものがあると思います。
日本の伝統文化である「着物」を世界に紹介したいという思いからプロデュースを始めたそうです。
『伝統と革新の融合』
(引用:yoshikimono)
これが「YOSHIKIMONO」のテーマだそうです。
(画像引用:barks)
また、YOSHIKIさんは「Y by YOSHIKI」という名でワインのプロデュースも行っています。
ワインに関してYOSHIKIさんは次のようにコメントしています。
ワインは私にとって音楽と同じです。一口口に含む度にイマジネーションが広がり、心が解き放たれます。
(引用:ybyyoshiki)
YOSHIKIさんは音楽だけでなく、様々な分野で活躍されています。
まとめ
YOSHIKIさんは4歳からピアノを始め、小学生でロックにはまり、音楽一筋の人生を歩んできました。
今では世界で活躍する音楽家であり、プロデューサーであり、X JAPANのメンバーでもありますが、その人生は決して楽なものではなかったようです。
YOSHIKIさんの人生において、幼稚園からの付き合いであるTOSHIさんの存在も大きな影響をあたえているようですね。
2022年9月17日から3日間、オーケストラとのクラシックコンサートが行われます。
4年ぶりとなるクラシックコンサート、楽しみにしているファンも多い事と思います!
「X JAPAN」の活動も少しづづ前に進んでいるようなので、楽しみですね。
音楽だけでなく、着物やワインも手掛けるYOSHIKIさんの活動にこれからも世界中が注目しています。
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