2019年に年号が令和に変わり、秋篠宮(あきしののみや)さまが皇嗣となられました。
秋篠宮(あきしののみや)さまは皇位継承順位1位となり、秋篠宮家は国民から注目されることも多くなっています。
そんな秋篠宮(あきしののみや)さまを公私共に支えていらっしゃるのが、秋篠宮紀子(あきしののみや きこ)さまです。
紀子さまは大学時代に秋篠宮さまと出会い、普通の恋愛を経て一般家庭から皇室に嫁がれた初めて女性です。
結婚当時は紀子さまのかわいさと親近感に、日本中で紀子さまブームが巻き起こるほどの人気でした。
紀子さまはどんな幼少期を過ごし、秋篠宮さまと出会われたのでしょうか。
今回は、『秋篠宮紀子さまの若い頃(昔)がかわいすぎる!幼少期から現在までを時系列に紹介』と題して、幼少期からの秋篠宮紀子さまについてご紹介します。
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【画像】秋篠宮紀子さまの若い頃(昔)がかわいすぎる!幼少期から結婚まで
(画像引用:NEWSポストセブン)
紀子さまは転勤族だった父の仕事の都合で、6度の転校を経験されています。
幼少期は海外での生活も長く、帰国した際には日本語に苦労されるほどだったのだとか。
それでも、泣き言は言わずに努力するお子さんだったという紀子さま。
そんな紀子さまについて、幼少期から時系列でご紹介します。
紀子さまの実家の家族構成は4人
(画像引用:mi-mollet)
こちらの画像が秋篠宮紀子さまの実家のご家族です。
秋篠宮紀子さまの実家の家族構成は父・母・紀子さま・弟の4人家族です。
父:川嶋 辰彦・年齢81歳没(2021年)
母:川嶋 和代・年齢81歳
紀子さま・年齢57歳
弟:川嶋 舟 ・年齢50歳
※2023年5月現在
紀子さまの幼少期
(画像引用:文春オンライン)
紀子さまは1966年9月11日、恩賜財団済生会静岡済生会総合病院で誕生されました。
紀子さまが生まれた翌年、東京大学大学院を修了した父・辰彦さんがペンシルベニア大学大学院に留学することになり一家で渡米しています。
紀子さまは、6歳までアメリカのペンシルベニア州で過ごされたそうです。
1969年9月:ローズモント大学付属ローズモント・トゥリニティー・スクールに入園
1970年9月:セント・メリーキンダーガーデンに入園
1971年9月:フィラデルフィア市立ヘンリー・C・リーエレメンタリースクール入学
アメリカで生活する間、父・辰彦さんは紀子さまの教育を考えて日本人学校や白人だけが集まる学校を避けたと言われています。
肌の色や人種による差別をしない人間になって欲しいと願い、あえて生徒や教師に多くの黒人がいる現地校を選んで紀子さまを入学させたそうです。
日本と違い、アメリカの新年度は9月からで、幼稚園の年長の歳から義務教育の扱いになるそうで、紀子さまも5歳の時にフィラデルフィア市立ヘンリー・C・リーエレメンタリースクールに入学されています。
紀子さまの学生時代(小学校時代~大学時代)
幼少期のほとんどをアメリカで過ごされていた紀子さま。
アメリカと日本の学校の文化の違いに戸惑い、日本の学校に慣れるのに苦労されたようです。
小学生時代に国内外の学校で転校を繰り返した紀子さまは、中学からは転校することなく学習院で学ばれています。
そのまま内部進学で学習院大学に入り、秋篠宮さまと運命の出会いを果たされるのですが、紀子さまはどのような青春時代を送ってこられたのでしょうか。
ここからは、紀子さまの学生時代について詳しくご紹介していきます。
小学校時代
(画像引用:週刊文春)
1973年6月、父・辰彦さんの学習院大学助教授就任が決まり、川嶋家は帰国しています。
1973年6月:帰国、静岡市立中田小学校の一年に編入学
1973年9月:新宿区立早稲田小学校に編入
1975年4月:豊島区立目白小学校三年に編入
1976年4月:学習院初等科へ編入
1977年8月:ウィーンのアメリカ・インターナショナル・スクール・オブ・ヴィエンナに編入
帰国当時、母・和代さんは弟の舟(しゅう)さんを妊娠中だったため、紀子さまを連れて実家の静岡に帰り、里帰り出産をされました。
この頃、紀子さまは6歳で小学1年生でしたが、それまで英語を母国語として生活されていたため、ほとんど日本語を話すことが出来ませんでした。
加えてアメリカと日本の文化の違いに戸惑い、駄々をこねることもあったのだとか。
それでも、「学校に行きたくない」と言って周囲を困らせるようなことはしない子だったそうです。
静岡で約3ヶ月暮らした後で父のいる東京に移り、新宿区立早稲田小学校に編入されました。
しかし2年後、一家は学習院職員寮に引っ越しすることになり、3年生の4月から豊島区立目白小学校に編入されています。
4年生の4月からは学習院初等科へ編入されていますが、父・辰彦さんのオーストリアへの赴任が決まり再び日本を離れています。
オーストリアでは、ウィーンにあるアメリカ・インターナショナル・スクール・オブ・ヴィエンナに編入されています。
これにより再び英語が母国語の生活になり、英語力に磨きがかかったのだとか。
さらに、オーストリアはドイツ語圏のため、日常会話程度ならドイツ語も話せるレベルに上達されたそうです。
中学校時代
紀子さまは約2年間をウィーンで生活された後、1979年9月に一家で帰国されました。
帰国後は、学習院女子中等科1年へ編入して学ばれています。
海外生活の長かった紀子さまは、日本語に苦労しながら学業に励まれたそうです。
中学時代は美術部に所属し、週2回、静物画や風景画などを描いていました。
そして中学1年生の頃から、自宅近くのテニススクールで硬式テニスを習うようになりました。
学習院女子中等科時代の友人はこの頃の紀子さまについて「マイペース型で、周囲の人がいろいろ言っても自分のペースを崩さない。それでいて気配りも忘れず、皆を決して不快にしない人だった」と話されています。
高校時代
1982年4月、紀子さまは学習院女子高等科へ入学されました。
女子高等科時代は、クラスで選ばれて厚生委員を務められました。
厚生委員の主な活動の1つが、日本赤十字社やユニセフなどへの募金活動でした。
紀子さまも街頭に立って、ハンセン病患者をはじめとする恵まれない人たちへの募金を呼びかけたり、身体障害者の人たちが作った絵葉書をすすめたりする活動に取り組まれたそうです。
高校時代の紀子さまは、第二外国語に中国語を選択し、あえて新しい語学を学ぶなど意欲的に学ばれていたようで、高校3年生の時には学年で2番の成績をとられたこともあるのだとか。
さらに、高校2年生の時に行われたスキースクールではオーストリア仕込みのスキーを披露し、学年でただ一人、上級コースを滑る腕前だったそうです。
学習院内で行われる公式テニスのダブルス戦で優勝したこともあるそうで、文武両道な生徒だったようですね。
大学時代
1985年4月、紀子さまは学習院大学文学部心理学科に進学されました。
大学では、『自然文化研究会』のほか、『心理研究会』、『手話サークル』に所属していました。
『自然文化研究会』は、秋篠宮さまが結成したサークルで、おふたりはこのサークル活動を通じて交際を深めていきました。
また、文化祭で観た手話劇に感動して手話サークルにも入られたのだとか。
紀子さまはボランティア活動も熱心に行われており、自閉症の子供の面倒を見たり、言葉の不自由な学生の講義に付き添って通訳やノートをとる手伝いをしたりしていたそうです。
大学内外の国際交流団体で留学生のお世話をしたり、他大学でアジア問題などの講義を聴講されたこともあったそうで、1987年9月には『東南アジア青年の船』にも参加されています。
1989年3月に学習院大学を卒業後、4月からは学習院大学大学院人文科学研究科へ進まれ、社会心理学を専攻されました。
同年9月に秋篠宮さまとの婚約記者会見が行われ、翌年に結婚の儀が行われています。
その後、眞子さまと佳子さまをご出産された後の1995年、29歳の時に学習院大学大学院人文科学研究科心理学専攻博士前期課程を修了していらっしゃいます。
【画像】秋篠宮紀子さまの若い頃(昔)がかわいすぎる!結婚から現在まで
紀子さまのかわいさは、高校時代から評判だったそうです。
「学習院女子にかわいい子がいる」と、近隣の高校から紀子さまを見に来る男子生徒までいたのだとか。
もちろん大学に進学後も紀子さまのかわいさは評判で、秋篠宮さまは紀子さまに一目惚れなさったと言われています。
(こちらの動画では、若い頃の紀子さまがたくさん見られます。)
確かに、とってもかわいいですよね!
秋篠宮さまが一目惚れなさるのも分かる気がします。
馴れ初めから結婚まで
(画像引用:文春オンライン)
紀子さまと秋篠宮さま(当時は礼宮さま)が初めて出会ったのは、学習院大学内にある書店だったそうです。
この書店のご主人が、秋篠宮さまに「川嶋教授のお嬢様です」と言って紹介したのが、入学したばかりの紀子さまでした。
紀子さまのかわいさに一目惚れした秋篠宮さまは、かなり積極的にアプローチされたようです。
大学に入学したばかりのフレッシュな紀子さまに、礼宮さまは一目惚れしてしまいます。
そのころ、紀子さまは近隣の学校の男子からも「かわいい子がいる」と評判だったといいます。
そして、高等部時代からの友人・黒田慶樹さん(のちの紀宮さまのご結婚相手)と相談して「自然文化研究会」というサークルを立ち上げ、後輩の紀子さまを入部させてしまいます。
そこからサークル活動を通した2人の交流がスタートしたのです。
引用元:ミモレ
秋篠宮さまは次男ということもあってか、自由奔放に青春を謳歌されており、割と自由にお酒を飲んだり、タバコも吸っていらっしゃいました。
礼宮は愛車に紀子を乗せて葉山などへドライブに誘い、また、お住まいにもたびたびお招きになった。
学習院近くのスナックでお酒を飲まれることもあり、自然文化研究会のサークル活動として、お二人はお仲間と一緒に木曾路や熊野などに泊まりがけの旅行もされた。
そこに宮内庁の影はなかった。
礼宮はいわばご自身の考えと行動力で、伴侶となる女性を見つけ、普通の若者がするような自由な交際を重ねていったのだった。
引用元:文春オンライン
「家内からのOKの返事はいつだったのか……、はっきりした返事ではありませんでした。自然にそのままというか、よく覚えていません。結婚するうえで、例えば相手が旧華族でなければいけないなどの制約はありませんでした」引用元:ミモレ
結婚の儀の紀子さまが美しい:1990年(23歳)
1990年6月29日、結婚の儀が執り行われました。
(画像引用:Wikipedia)
上の写真は、結婚の儀の朝に自宅を出発された時の紀子さまです。
ピンクのお召し物がよくお似合いで素敵です。
この結婚の儀をもって、紀子さまは正式に妃殿下となられました。
十二単の紀子さま、とても美しいですね!
(画像引用:文春オンライン)
(画像引用:女性自身)
結婚の儀の後、洋装にお召し替えされてから朝見の儀が行われました。
白いドレス姿の紀子さまもお美しいですね。
眞子さま出産:1991年10月23日(25歳)
結婚の儀の翌年の1991年10月23日、眞子さまが誕生されました。
眞子さまの命名は秋篠宮さまがされたそうで、『眞』の字にはありのまま、自然のままに育ってほしいという思いが込められているそうです。
眞子さまの誕生をきっかけに、ヘビースモーカーだった秋篠宮さまはタバコをおやめになったのだとか。
秋篠宮さまは「大きくなってもお嫁に行かせたくないほどかわいい」と親しい人に話されていたこともあったそうで、積極的に育児にも参加されていらっしゃったようです。
佳子さま出産:1994年12月29日(28歳)
眞子さま誕生から3年後の1994年12月29日、紀子さまは次女の佳子さまを出産されました。
佳子さまも秋篠宮さまが命名されたそうで、『心身ともに佳い子に育ってほしい』という思いが込められているそうです。
悠仁さまを帝王切開で出産:2006年9月6日(40歳)
(画像引用:朝日新聞)
2006年2月、宮内庁から紀子さまのご懐妊が発表されました。
しかし同年7月には、部分前置胎盤による大量出血の危険性があるとして、皇族初の帝王切開による出産になることを宮内庁が発表し、紀子さまは8月16日に愛育病院に入院されました。
そして2006年9月6日午前8時27分、悠仁(ひさひと)さまが誕生されました。
身長48.8 cm、体重2558gだったそうです。
この時、「国民の役に立つならば」とのお考えで臍帯血の提供を申し出ていらっしゃったことも話題になりました。
悠仁さまも秋篠宮さまが命名され、「ゆったりとした気持ちで、長く久しく人生を歩んでいくことを願って」名付けられたそうです。
皇室に男子が誕生したのは、なんと秋篠宮さま以来41年ぶりのことでした。
悠仁さまの誕生により、問題視されていた皇族の男系断絶が回避され、皇位継承問題による皇室典範改正案の提出は見送られることになりました。
紀子さまが皇嗣妃となる:2019年5月1日(52歳)
(画像引用:東京新聞)
2019年(令和元年)5月1日、兄・浩宮さまが天皇に即位されたことで秋篠宮さまは皇位継承順位1位の皇嗣となりました。
秋篠宮さまが皇嗣になられたことで、紀子さまは皇嗣妃となられました。
皇位継承順位1位の秋篠宮さまの妃様であり、皇位継承順位2位の悠仁さまの母となられたことになります。
(画像引用:毎日新聞)
翌年の2020年(令和2年)11月8日、『立皇嗣の礼』の中心儀式である『立皇嗣宣明(りっこうしせんめい)の儀』が皇居・宮殿松の間で行われ、秋篠宮さまがが皇位継承順位1位の皇嗣になったことが国内外に示されました。
陛下は
「本日ここに、立皇嗣宣明の儀を行い、皇室典範の定めるところにより文仁親王が皇嗣であることを、広く内外に宣明します」
とお言葉を述べられた。
陛下のお言葉の後、秋篠宮さまが
「立皇嗣宣明の儀をあげていただき、誠に畏れ多いことでございます。
皇嗣としての責務に深く思いを致し、務めを果たしてまいりたく存じます」
と決意を表明された。
引用元:産経新聞
立皇嗣宣明の儀は、元々2020年4月19日に行われる方向で調整が進められていましたが、新型コロナウイルスの世界的流行を受けて、規模を縮小して半年遅れで行われました。
皇嗣、皇嗣妃となられたことで、それまで皇太子さまご夫妻(現・天皇皇后両陛下)がされていたご公務を秋篠宮さまご夫妻が行なわれることも増えていらっしゃいます。
2023年5月6日に行なわれる英国・チャールズ国王の戴冠式にも、天皇皇后両陛下の代わりに秋篠宮さまと紀子さまが参列されることが決まっています。
皇嗣になられて以降、新型コロナウイルスの影響で海外へのご訪問はほとんどされておらず、タイミング的にも皇嗣家を対外的にお披露目する重要な機会になるとして注目を集めています。
長女・眞子さまが小室圭と結婚:2021年10月(55歳)
(画像引用:産経新聞)
2021年10月26日、秋篠宮家の長女・眞子さまが小室圭さんと結婚されたことが宮内庁から発表されました。
眞子さまは同日午前10時ごろ、ご家族とともに30年間過ごした赤坂御用地にあるお住まいの宮邸(東京都港区)をご出発。
宮邸の玄関で見送りに出られたご夫妻と妹の佳子さまとそれぞれ言葉を交わされた。
最後に、眞子さまは佳子さまと抱き合い、車に乗り込まれた。
引用元:産経新聞
秋篠宮家を出発された眞子さまは、小室圭さんと共に都内のホテルで結婚記者会見を行い、お気持ちを述べられました。
(画像引用:読売新聞オンライン)
眞子さまの結婚については、長い間日本を騒がせてきました。
その影響もあって、女性皇族の結婚の際に行なわれる儀式や行事は一切行なわれず、結婚の際に支払われる一時金1億3700万円も辞退していらっしゃいます。
前代未聞となってしまった娘の結婚に、紀子さまは心を痛めておられました。
娘に幸せになって欲しい、という気持ちは親としては当然ですよね。
さらに、眞子さまは将来天皇の姉になる可能性もある方なので、この結婚が皇室の汚点となってしまうのではないかという点も紀子さまは心配なさっていたようです。
その後紀子さまは、眞子さまの結婚の翌年の2022年の誕生日に、眞子さまについての思いを明かされています。
昨年10月に小室圭さん(30)と結婚し、その後米国に渡った長女眞子さん(30)への思いを
「新しい生活を心穏やかに送れるように心から願っております」
とつづり、
「今は直接会うことがかないませんが、庭の花の世話をしながら、木香薔薇(モッコウバラ)のアーチを作り、いつか娘と一緒にゆっくり庭を歩くことができましたら」
と願った。
引用元:毎日新聞
木香薔薇は眞子さまのお印に使われていた花で、紀子さまはアメリカで生活する眞子さまのお体を心配されながら、娘との再会を心待ちにしていらっしゃるようです。
【画像】秋篠宮紀子さまの若い頃(昔)からファッションが素敵
(画像引用:文春オンライン)
紀子さまのファッションは、若い頃から注目され続けてきました。
どちらかというと、紀子さまのファッションはかわいい感じの物が多い印象です。
柔らかい印象になる素材や色をうまく使っていらっしゃいますよね。
紀子さまの雰囲気に合っていて素敵です。
(画像引用:朝日新聞デジタル)
(画像引用:産経フォト)
最近のご公務でも淡い色味やスカートの装いが多く、とてもよく似合っていらっしゃいます。
まとめ
紀子さまの幼少期から現在までをまとめました。
ご結婚から30年以上が経過し、現在は皇嗣妃として秋篠宮さまを支えていらっしゃる紀子さま。
若くして一般家庭から皇室に嫁がれ、紀子さまブームが起こるのも納得のかわいさでしたね。
正直、最近の秋篠宮家はご公務以外で色々と注目されてしまっている印象もありますが、皇位継承順位1位の秋篠宮さまの妻として、2位の悠仁さまの母として、今後ますます紀子さまへの注目度も上がっていくのではないでしょうか。
これからも、素敵な紀子さまスマイルを見せて頂きたいですね!
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