2023年9月5日付でジャニーズ事務所の代表取締役社長に就任した東山紀之(ひがしやま のりゆき)さん。
立ち振る舞いがスマートで育ちの良さそうな印象の方ですよね。
しかし実は幼い頃に両親が離婚して母子家庭で育っており、子供の頃はお金に苦労していたそうです。
食べるのにも苦労して、いつもお腹を空かせていた時期もあったのだとか。
東山紀之(ひがしやま のりゆき)さんはそんなご自身の生い立ちについて、自伝エッセイ『カワサキ・キッド』で赤裸々に明かされているのですが、そのエピソードがかなり壮絶です。
そこで今回は『東山紀之の生い立ちが壮絶!母は離婚歴が2回で2人の父がヤバい!』と題して、ジャニーズ事務所新社長・東山紀之さんの生い立ちについてご紹介します。
東山紀之さんの若い頃についてはこちらの関連記事をお読み下さい。
【画像】東山紀之の若い頃(昔)がモテモテ!同棲女優やグラドル・藤島ジュリー景子との関係を紹介!
【画像】東山紀之の生い立ちが壮絶!幼少期からデビューまで
東山紀之さんは、ジャニー喜多川さんの側近中の側近と言われた人物です。
小学6年生の時に、ジャニー喜多川さんに直接スカウトされジャニーズ事務所に入所していますが、それまでは本当に苦労して生きていたようです。
ジャニーズ事務所のタレントの中で、ジャニー喜多川さんから直接スカウトされた人は『エリート』と呼ばれていますが、東山紀之さんはエリートの中でも特にジャニー喜多川さんに気に入られていたとみられています。
ジャニーズ事務所に入って、人生が180度変わったと言っていいでしょう。
そんな東山紀之さんのデビューまでの生い立ちについてご紹介します。
東山紀之の実家は川崎のコリアンタウン?
東山紀之さんの両親は、東山紀之さんが3歳の頃に離婚しています。
両親の離婚後、母と妹と共に3人で引っ越した先が神奈川県川崎市のコリアンタウンでした。
ここでは、在日朝鮮人の方の家の離れのようなところを借りて住んでいたのだとか。
母は、女手一つで2人の子供を育てるために朝から晩まで美容院で働き詰めでしたが、この家にはお風呂もなく、当時は食べるのにも苦労していたそうです。
幼かった東山紀之さんと妹さんは、近所で食堂をしていた朝鮮人に食べ物を恵んでもらって飢えをしのいでいたといいます。
近所には、日本名を名乗り、焼き肉屋を営む朝鮮人母子が暮らしており、僕より二つ上のおにいちゃんがいた。
「僕と妹が毎日、お宅にあがり込むと、おばちゃんはいつも店の豚足を食べさせてくれる。
僕たちはそれにかぶりついた。
貧しくてお腹をすかせていた僕たちは、あのころ、あの方々がいなかったら、どうなっていただろうと思う」
(引用元:exciteニュース)
当時は在日韓国人らに対し差別的な見方をする人も多かった時代ですが、母がそういった差別をすることがない人だったため、東山紀之さん兄妹も偏見を持つことはなかったそうです。
むしろ今でもコリアンタウンの方々には感謝されているようですね。
その後、東山紀之さんが小学2年生の時に家族3人で川崎市の市営住宅に引っ越しをされたそうです。
東山紀之の幼少期
(画像引用:Amazon)
東山紀之さんは、立ち振る舞いなどから育ちの良さそうな印象を受けますが、実際はかなり壮絶な幼少期を過ごされていたようです。
東山紀之さんの自伝エッセイ『カワサキ・キッド』では、そんな幼少期の生活について赤裸々に明かされています。
僕の一家は、川崎駅近く、ソープランドが密集する界隈の、父方の祖父母の家で暮らしていた。
(引用元:exciteニュース)
住んでいた場所からも、あまり裕福な家庭ではなかったことが想像できますね。
東山紀之さんの子供時代について、詳しくご紹介していきます。
祖父が暴れて大やけど
東山紀之さんの父方の祖父は大酒飲みで、酔っては暴れる人でした。
東山紀之さんと両親は、そんな父方の祖父母の家で一緒に暮らしていました。
そして東山紀之さんが生後8ヶ月の赤ちゃんの時、母が仕事で不在の時に祖父が酔って暴れてしまいます。
その結果、祖父がポットをひっくり返してしまい、赤ちゃんだった東山紀之さんの両足に熱湯をぶちまけてしまったのだとか。
この時の火傷が原因で、東山紀之さんの左足の指は変形してしまいました。
この怪我のせいで、歩いたり立ったりの発達が他の子より遅くなってしまったそうです。
お母さんは本当に心配だったでしょうね。
東山紀之さんはこの後遺症で、今でも時代劇などで雪駄を履くと痛みがあるのだそうです。
東山紀之の小学校時代
東山紀之さんは川崎市立大島保育園を卒園し、川崎市立東桜本小学校に入学しています。
時期は不明ですが、途中で川崎市立古川小学校に転校されており、こちらの小学校を卒業されています。
東山紀之さんは小学3年生の頃から剣道教室に通い、3年間剣道に打ち込んでいました。
6年生の時には、横浜市剣道大会の地区大会で優勝するほどの実力をつけていたそうです。
運動神経抜群の子だったようですね!
東山紀之は小学校6年生の時にジャニー喜多川からスカウトされる
東山紀之さんに転機が訪れたのは、小学校を卒業する1ヶ月前のことでした。
当時、母が東京・渋谷にあるNHKの職員用理髪店で働いていた。
そこでもらった歌番組「レッツゴーヤング」の公開収録のチケットを握りしめ、友達を誘って地元の川崎から渋谷のNHKホールまで観に行ったんだ。
帰り道、渋谷のスクランブル交差点で信号待ちをしていたら、車に乗った中年の男性から突然「どこから来たの?」と声をかけられた。
それがジャニーさんだった。
(引用元:サンスポ)
この時、ジャニー喜多川さんから「金八先生見てる?」と聞かれたそうです。
東山紀之さんが「金八先生見てますよ」と答えると、「電話番号を教えて欲しい」と言われたため、念の為名刺をもらって電話番号を教えたのだとか。
後日、ジャニー喜多川さんから自宅に連絡があり、食事に誘われます。
当時の東山紀之さんは芸能界に興味もなくジャニー喜多川さんのことも知らなかったため、断ることを決めていましたが、失礼になってはいけないと、1度食事にだけは行くことにしたそうです。
そして、母と妹と共にジャニー喜多川さんの車で横浜中華街に向かいました。
ところが途中で気分が悪くなった妹さんが、ジャニー喜多川さんの車の中で嘔吐してしまいます。
ジャニー喜多川さんの車は高級外車だったそうで、東山紀之さんと母は焦ったでしょうね。
結局その日はジャニー喜多川さんを自宅に招き、一緒にお寿司を食べたそうです。
東山紀之さんはその時にキッパリ芸能界入りを断りましたが、後日、車を汚してしまったお詫びに菓子折りを持ってジャニーズ事務所を訪ねました。
もちろんお詫びだけのつもりでしたが、ジャニー喜多川さんからレッスンの見学に誘われ、試しに踊ってみることになります。
運動神経には自信のあった東山紀之さんですが、ダンスレッスンで思ったように体が動かずにみんなから笑われてしまい、それまでに味わったことのない挫折を味わったのだとか。
そこで負けん気に火が付いてしまい、『ステップができるまで』という期限つきでレッスンに通うようになります。
しかし、ジャニーズ事務所で出される食事などにつられてその後もレッスンに通い続け、19歳の時に少年隊としてデビューを果たしました。
東山紀之さんは後に、ジャニー喜多川さんから声を掛けられた時のことを振り返り、「あんな坊主頭によく声を掛けてきたなと思う」と明かされています。
多くの人がいる渋谷のスクランブル交差点で、坊主頭でも目を引くほど輝いていたのでしょうね。
東山紀之の中学校時代
東山紀之さんは川崎市立古川小学校を卒業後、川崎市立塚越中学校に入学しています。
中学ではバスケットボール部に入部し、1年生からレギュラー入りをしています。
おそらくバスケットボール初心者だったにも関わらず、1年生からレギュラー入りとはさすがですね。
2年生の時には神奈川県大会準優勝、3年生ではキャプテンを務めていたそうです。
イケメンでバスケットボール部のキャプテンなんて、絶対モテたでしょうね。
しかし2019年7月19日に放送された『あいつ今何してる?』(テレビ朝日系)に出演された際、中学時代の東山紀之さんのかなりシャイだったエピソードが明かされていました。
東山がある日、「デートをしよう」と誘われ、内心はうれしかったのだがその日になると恥ずかしくてたまらず、待ち合わせ場所に行かなかったという内容だ。
そこで、スタッフが東山がデートで待ち合わせる予定だった駅で渡辺さんと会い、東山のすっぽかしについて確認すると、渡辺さんは「東山はすっぽかしていなかった」と否定。
真相は、東山が1人では恥ずかしいと友人を連れて自転車でやってきたので、2人で遊びに行くことを期待していた渡辺さんはガッカリして帰ってしまった、というもの。
(引用元:日刊大衆)
女の子と二人で出かけるのが恥ずかしいなんて、結婚前に数々の恋愛が報じられてきた東山紀之さんからは正直想像できませんね。
東山紀之の高校時代
東山紀之さんは中学を卒業後、川崎市立高津高等学校に入学しましたが、1年生の1学期に明治大学付属中野高校定時制に転入しています。
明治大学付属中野高校定時制への転入を機に上京し、原宿での合宿所生活をスタートさせました。
東山紀之さんは高校でもバスケットボール部に入部してバスケットを続けていたそうです。
この明治大学付属中野高校定時制は、東山紀之さん以外にもジャニーズ事務所所属のタレントが多く通っていたことで知られています。
・近藤真彦(卒業)
・薬丸裕英(中退)
・本木雅弘(中退)
・布川敏和(中退)
・錦織一清(中退)
・植草克秀(中退)
定時制なので卒業まで4年かかるのですが、中退されている方が多いようですね。
東山紀之さんも、芸能活動との両立が難しかったのか中退されています。
少年隊のメンバー3人(東山紀之さん、錦織一清さん、植草克秀さん)は同時期に高校に在籍していましたが、3人とも中退しています。
ちなみに植草克秀さんは、東山紀之さんと同じくバスケットボール部に所属されていたそうです。
この明治大学付属中野高校の定時制課程は、2003年3月31日をもって廃止されています。
東山紀之は高校からジャニーズ合宿所に入所
(画像引用:X)
東山紀之さんは、高校生の頃からジャニーズ事務所の合宿所に入所して生活していました。
この合宿所は原宿の『コープオリンピア原宿』というマンションにあって、250平米ほどの広さのワンフロアだったそうです。
めちゃくちゃ広いです!
それもそのはず、この『コープオリンピア原宿』は、日本の億ション第1号なのだとか。
すごいですね!
しかし、亡くなったジャニー喜多川さんの性加害問題において、合宿所の存在自体に問題があったことは2023年9月7日の会見で東山紀之さんも認めています。
あそこですべてが完結する。
喜多川氏が担当する閉鎖的な空間なので
(引用元:読売新聞オンライン)
東山紀之さんのいた合宿所は一体どんな所だったのでしょうか。
東山紀之さんが住んでいたジャニーズ合宿所の間取りや、同時期に入所していたメンバーについてご紹介します。
合宿所の間取りやメンバーは
こちらの画像が、東山紀之さんが住んでいた頃のジャニーズ合宿所の間取りだそうです。
デビューしていないジュニアは、仕事やレッスンがある時にだけこの合宿所を利用してジャニー喜多川さんと雑魚寝していたようですが、デビュー組にはそれぞれ部屋があったようです。
当時、合宿所にいたのは
田原俊彦(59)、近藤真彦(56)、川崎麻世(57)、シブがき隊、「光GENJI」の諸星和己(50)、そして少年隊の3人だったという。
(引用元:スポニチ)
すごいメンバーですよね。
こちらの動画の7分55秒から、田原俊彦さんが当時の原宿の合宿所の様子について話されています。
家政婦さんがいて、掃除洗濯までやってくれるなんて、合宿所とはいえとても快適な所だったようですね。
そしてこちらの動画の11分50秒からは、城島茂さんが合宿所について話されています。
キャッチボールができる広さのリビングってすごすぎます。
リビングだけでも40畳くらいあったそうです。
原宿の合宿所がいつまであったのかははっきり分かっていませんが、おそらく1980年代〜2000年頃までではないかとみられています。
東山紀之のデビューは『仮面舞踏会』で1985年(19歳)の時
(画像引用:文春オンライン)
東山紀之さんは1985年12月12日、少年隊として『仮面舞踏会』でレコードデビューしています。
デビュー当時東山紀之さんは19歳で、当時のジャニーズとしては遅めのデビューでした。
しかし『少年隊』は、ジャニー喜多川さんの最高傑作とも言われたグループで、デビュー前から海外で英才教育を受けていたそうです。
1981年の結成から85年に「仮面舞踏会」でレコードデビューするまでの約4年間、3カ月に一度のペースで米国、英国などでエンターテインメントの基礎を学ぶ英才教育を施された。
米国ではマイケル・ジャクソンの名曲「スリラー」の振付師だったマイケル・ピータースのダンスレッスンを受けたこともある。
(引用元:Yahoo!ニュース)
『仮面舞踏会』は、オリコンシングルチャートで初登場1位を獲得し、1986年の年間オリコンシングル売上ランキングでも3位に入っています。
『仮面舞踏会』は売上枚数は47.8万枚を記録した、少年隊最大のヒット曲です。
少年隊はこの曲で1986年の新人賞を総なめにし、トップアイドルへと上り詰めていきました。
【画像】東山紀之の生い立ちが壮絶!母は離婚歴が2回で2人の父がヤバい!兄弟は妹が1人『家族構成』
こちらの画像のアパートは、東山紀之さんが子供の頃に母と妹と3人で住んでいた市営住宅だそうです。
両親の離婚後、コリアンタウンを経て東山紀之さんが小学2年生の時にこの市営住宅に引っ越ししています。
市営住宅はコリアンタウンよりも家賃が安かったそうですが、それでも生活は苦しかったそうです。
その後、母の再婚で新しい父との生活が始まりますが、東山紀之さんはこの継父との折り合いが悪く、早く家を出たいと思うようになっていきました。
どうやら東山紀之さんの実父も継父も酒癖が悪く、酔うと暴れるヤバいタイプだったようです。
東山紀之さんには妹が1人いらっしゃいますが、そんな父のもとでどんな暮らしをされていたのでしょうか。
東山紀之さんの実家の家族についてご紹介します。
東山紀之の母は離婚歴が2回で躾が厳しかった
写真の女性が東山紀之さんの母です。
東山紀之さんの母には2度の離婚歴があり、女手一つで子供たちを養うために朝から晩まで働き詰めだったそうです。
しかしどんなに忙しくても、子供達の躾にはかなり厳しかったのだとか。
母親のしつけは厳しく、食事の作法などについて
「ビンタなんて当たり前。いつも靴べらで叩かれた。ある意味トラウマ」
と明かす。
(引用元:ライブドアニュース)
靴べらで叩くとは、かなり激しい躾ですよね。
正直、今ならDVと言われてもおかしくないレベルだと思います。
それでも、東山紀之さんの母はただ感情的に怒っていた訳ではないようです。
10歳のとき、欲しいおもちゃがあり、母親の財布からお金をくすね、おもちゃを買った。
母親にバレて、大目玉を食らうと覚悟していたら、
「あんたは知能犯だ。このままだと将来、絶対だめになる」
と冷静に諭されたという。
東山はそこで改心し、以降はこれまで以上に母親の手伝いをするようになった。
(引用元:ライブドアニュース)
改心した東山紀之さんもすごいですが、ここで冷静に話せたお母さんもすごいですね。
そんな母の躾の甲斐あってか、東山紀之さんが初めてジャニー喜多川さんから誉められたのは、魚の食べ方だったそうです。
最初に褒められたのが『YOU、魚の食べ方うまいね』という言葉。
東山さんは母のしつけがそこで活きたことを明かしていました
(引用元:ライブドアニュース)
東山紀之さんの所作が綺麗なのは、母の厳しい躾のおかげだったようですね。
初めの離婚は東山紀之が3歳の時
東山紀之さんの両親が離婚したのは、東山紀之さんが3歳の頃のことでした。
神奈川県川崎市で生まれた東山紀之さんは、両親が離婚するまでに岡山県や愛知県名古屋市への引っ越しを経験されており、家族で日本中を転々とされていたようです。
父は祖父に似てお酒を飲んでは暴れる人で、東山紀之さんの母は大変苦労されたそうです。
小さな子供がいる家庭で酔っ払った男性が大暴れなんて、考えただけでも怖いです。
母の方から父に「もう離婚してください」と土下座してお願いし、子供たちを連れて川崎へ戻っています。
東山紀之が小学校4年生の時に再婚し25歳の時に離婚
東山紀之さんの母は、東山紀之さんが小学4年生の時に再婚しています。
再婚相手は母より4歳下で、太く逞しい腕がカッコいい男性だったそうです。
しかし母から再婚の話をされた時、東山紀之さんは「東山姓が変わるのは嫌だ」と最初は反対したのだとか。
結局、再婚相手の男性が婿に入ってくれて、東山紀之さんの名前が変わることはありませんでした。
子供の意見を聞いてくれる優しい男性だったようですね。
しかし、最初は優しかった義父もだんだん暴力をふるうようになっていきます。
母は、「男はみんな結婚すると変わる」と嘆いては、東山紀之さんにお酒とギャンブルには溺れないよう言って聞かせたそうです。
結局、母とこの再婚相手の男性は東山紀之さんが25歳の時に離婚しています。
東山紀之の2人の父がヤバ過ぎる
(画像引用:gooニュース)
東山紀之さんの壮絶な生い立ちは、正直言って母の男性を見る目の無さに原因があったように思います。
母の離婚、再婚によって東山紀之さんには実父と継父の2人の父がいたことになるのですが、どちらの父もお酒とギャンブルがやめられないヤバい人だったようです。
そんなヤバい父親しか知らずに育った東山紀之さんは、ジャニー喜多川さんのことを本当の父のように慕っていたと言われています。
性加害問題が発覚した今となっては、結局ジャニー喜多川さんもヤバかったことになりますが…。
ここからは、東山紀之さんの実父と継父、ヤバすぎる2人の父についてご紹介していきます。
実の父はロシア人クオーターで酒乱・ギャンブル癖が酷い?
東山紀之さんの実の父は、ロシア人のクオーターでした。
この父が、とても酒癖が悪い人物だったそうです。
大酒飲みのギャンブル好きだった父は、度々酔って暴れる上に多額の借金まで作っていました。
借金取りが家に来ては母が土下座で謝る日々を送っていたようで、その様子は東山紀之さんの記憶にも残っているそうです。
母が自宅玄関で男たちに土下座をして、そのかたわらの畳には包丁が刺さっている場面が、東山が1歳頃に見た光景だといい、今でもその光景が脳裏に焼きついて離れないという。
(引用元:日刊大衆)
怖すぎます。
1歳の記憶が残っている人は少ないと思いますが、幼い東山紀之さんにとってもかなり衝撃的な光景だったのでしょう。
その後、東山紀之さんが3歳の時に両親は離婚していますが、幼かった東山紀之さんには父の記憶はないそうです。
離婚後は母が父の写真を隠していたため、東山紀之さんは父の顔も名前も知らずに育ったのだとか。
しかし偶然、父の写真を見つけてしまったことがあったそうで、とてもカッコ良い方だったと明かされています。
義父はトラックの運転手でDVが酷かった?
(画像引用:webザテレビジョン)
東山紀之さんが小学4年生の時に母が再婚した義父は、トラック運転手をされていたそうです。
再婚当時、義父は20代でした。
初めは優しかった義父でしたが、だんだんお酒を飲んでは暴れるようになり、ギャンブルで借金も作るようになってしまいます。
義父は逞しい腕をされていたそうで、お酒を飲んで見境なしに暴れる姿は本当に怖かったと思います。
義父の理不尽な暴力を母に訴えても「お前が悪い」と味方になってもらえないこともあったのだとか。
母もせっかく手に入れた新しい生活を手放したくなかったのかもしれませんが、子供にとっては辛いですよね。
そんな生活が続き、東山紀之さんは家に居場所がないと感じるようになっていったそうです。
「早く家を出たい」と思っていた東山紀之さんは高校進学を機に上京し、ジャニーズ事務所の寮に入っています。
しかし結局、東山紀之さんが25歳の時に母と義父は離婚しています。
東山紀之の兄弟は妹が1人
東山紀之さんには、3歳下の妹がいらっしゃいます。
妹さんは幼い頃から喘息持ちだったそうです。
住んでいた川崎は、元々大気汚染がひどい工業地帯と言われていた地域だったため、その影響もあったのかもしれませんね。
喘息を克服するためにバレーボールをしていたという妹さんですが、中学を卒業後はプロの競艇選手を養成する学校を志望していました。
しかしこの試験に落ちてしまい、自衛隊に入隊しています。
妹さんも東山紀之さん同様義父との折り合いが悪く、早く家を出るために寮のある環境を選んだようです。
その後、美容師の資格を取ったりされたそうですが、現在は建築関係のお仕事についているそうです。
東山紀之さんの自伝『カワサキ・キッド』によると、妹さんは2010年の時点では未婚でしたが、現在のことは分かっていません。
東山紀之のプロフィール
名前:東山紀之(ひがしやま のりゆき)
愛称:ヒガシ
生年月日: 1966年9月30日
年齢:57歳(2023年9月現在)
血液型:A型
身長:178cm
出身地:神奈川県川崎市
東山紀之さんは、2023年9月5日付でジャニーズ事務所の代表取締役社長に就任しており、2023年末をもって芸能活動からは引退し、社長業に専念されるそうです。
まとめ
ジャニーズ事務所の新社長・東山紀之さんの生い立ちについてまとめました。
東山紀之さんの佇まいから、勝手に育ちの良さそうなイメージを持っていたのですが、かなり壮絶な幼少期を過ごされていて驚きました。
今後は、ジャニーズ事務所の社長として苦労することも多いと思いますが、所属タレントや応援しているファンのためにも、ジャニー喜多川さんの性加害問題に真摯に向き合って、ジャニーズ事務所を立て直していって欲しいと思います。
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