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原晋監督(青学)の経歴・学歴徹底まとめ!年収がヤバいって本当?

エンタメ
原晋 監督/Susumu Hara (青山学院大), JANUARY 3, 2020 - Ekiden : The 96th Hakone Ekiden Race, 10th section Goal in Tokyo, Japan. (Photo by Naoki Nishimura/AFLO SPORT)
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青山学院大学陸上部の監督と言えば、原晋(はら すすむ)監督です。

テレビなどでもよく見かける有名人ですよね。

そんな原晋監督ですが、実は青学の出身ではなく、監督になる前はサラリーマンだったというかなり異色の経歴の持ち主です。

そして、最近のあまりの活躍ぶりに、年収がヤバいと噂になっているようです。

そこで今回は、青学の原晋監督の経歴・学歴と、現在の年収について徹底的にまとめました。

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原晋監督(青学)の経歴・学歴徹底まとめ!

画像引用:三原市HP

原晋監督は、広島県三原市糸崎町という港町で、三兄弟の三男として生まれました。

小さい頃から外遊びが好きで、相撲は主将、ソフトボールは4番でピッチャーと運動神経抜群の子供だったそうです。

原晋監督(青学)の学歴

画像引用:ライズTOKYO note

原晋監督は、中学校までは地元の公立校に通われています。

しかし当時から、ただ走るのではなく、作戦を練って考えてから走ることをされていたようです。

高校からは陸上の強豪校に進み、本気で陸上に取り組まれました。

また、高校と実業団時代にはチームの主将も務めており、昔から人をまとめるのが上手だったのかもしれませんね。

原晋の出身小学校

画像引用:糸崎小学校HP

原晋監督は、地元・広島県三原市にある三原市立糸崎小学校の出身です。

僕はやんちゃ坊主だったなぁ。

当時の遊びというものが外で駆け回ることしかなく、ソフトボールや相撲、缶蹴りとか外遊びばかりしていました。

実家のすぐ裏が海ですぐ飛び込める環境でしたが、水泳はあまり好きじゃなく魚釣りをする程度。

小学4~6年頃には6~8人のグループを作って、下水管の中に入ってたわむれワイワイ騒いでいるようなガキ大将でした。

今はテレビに出ることもありますが、当時は目立ちたい気持ちはあるけれど人前で歌を歌ったり演劇で主役をはったり、といったことは苦手でした。

引用元:ごはんだもん!げんきだもん!

外遊びをすることで、自然と基礎的な体力や脚力がついたのかもしれません。

そして、原晋監督が陸上を始めたきっかけも、小学校時代にありました。

小学校入学寸前に脚を20数針縫う大事故にあい、ギプスをはめて松葉づえで入学式に行きました。

皆がとんだりはねたりしてじっと席に座ってない中で、僕はギプスで動けなかった。

それでギプスが取れた瞬間から、魔法のごとく本能で走り出した感じです。

小学生の頃は自主的にマラソン大会を調べて新聞の切り抜きを親に持って行き、これに連れて行ってくれと頼んで参加するような事をやっていました。

引用元:ごはんだもん!げんきだもん!

小学生の頃から、自発的にマラソン大会に出場するほど走ることにハマっていたんですね。

原晋の出身中学校

画像引用:Instagram

原晋監督は、三原市立第一中学校の出身です。

中学時代は陸上部に所属して、長距離を専門にされていたそうです。

実家近くの国道2号線が『中国駅伝』のコースになっていて、宗兄弟など実業団の駅伝選手に憧れ、陸上を始めたのです。

しかし、中学の陸上部で長距離選手だったのは自分だけでしたね。

引用元:知るぽると

子供の頃から、駅伝が身近にある環境だったのですね。

全校で行う校内マラソン大会では3年間連続1等でした。

校内のマラソン大会は事前に下見に行って、どこからスパートをかけるか、などと考える。勝負に対するこだわりが、子どもの頃からあったんでしょうね。

いっぱい練習するより、どうやったら早くなるかをずっと考えているような子でした。

引用元:ごはんだもん!げんきだもん!

なんとこの頃から、レース展開を考えながら走っていたようです。

とはいえ、校内のマラソン大会で、1年生が上級生を抑えて1位になるのはすごいと思います。

原さんは中学3年のとき、三原市中学校駅伝大会に出るため、テニス部やバスケ部の生徒を誘い、寄せ集めチームをつくります。

人集め、チーム編成、区間の人選、レースの戦略まですべて指揮をとり、見事に優勝。

自ら組み立てて成果を出す、その成功体験が原さんの駅伝人生の始まりでした。

引用元:知るぽると

中学時代に、既に監督のような経験をし、結果を出されていました。

また原晋監督個人でも、3年生の時に県総体の1500mで2位という成績を残されています。

原晋の出身高校

原晋監督は、高校から地元を離れ、広島県立世羅高等学校に進学しています。

世羅高校は、全国トップレベルの長距離選手が集まる駅伝の名門校です。

もちろん高校でも陸上部に所属し、寮生活をしていたそうです。

「寮生活は上下関係が厳しくて…。

また理不尽なことを要求する先輩たちが嫌で嫌でたまりませんでした。

それでも陸上がやりたくて、わざわざ地元を離れてまで選んだ道。何が何でも結果を出そうという覚悟がありました。

だから、競技で先輩を見返してやろうと思ったんです」

引用元:知るぽると

原晋監督は高3の時、チームの主将を務めています。

原晋監督の学年には際立った選手がいなかったので、当時の監督から「駄馬軍団」と言われていたのだとか。

しかしその悔しさから、自分達でルールを決めて練習に励み、チーム作りをしていったそうです。

その結果、チームは全国高校駅伝大会で準優勝という好成績を残されています。

主将としてチーム作りをし、そのチームを引っ張って結果を残す、というのは今の監督業に通じるところがあるのかもしれません。

原晋の出身大学

原晋監督は世羅高校を卒業後、世羅高校OBが監督を務めていた中京大学に進学し、大学でも陸上部に所属していました。

しかしご本人曰く、「大学1、2年の頃はパチンコと飲み会に明け暮れていた」そうです。

それでも大学時代、全日本大学駅伝に2年生と3年生の時の2度出場されています。

2年生の時(第18回大会)は1区を走り14位、3年生の時(第19回大会)は4区で9位という結果でした。

また、3年生の時には日本インカレの5000mに出場し、3位という成績も残されています。

しかし、4年生の時は陸上から逃げていたそうで、全日本大学駅伝には出場されておらず、希望した実業団からは門前払いされてしまったそうです。

原晋監督(青学)の実業団時代の陸上成績

大学卒業後の1989年、地元・広島にある中国電力に入社すると、1期生として陸上部の創設から参加されています。

そして1993年には、主将として全日本実業団駅伝への初出場にも貢献しました。

しかし、入社5年目の1995年に現役を引退されています。

引退の理由は、故障に加えて監督との折り合いが悪く、思うように結果が出なかった為だそうです。

中国電力では捻挫をきちんと治療せず、監督とは衝突してばかり。

結局、大学でも実業団でも覚悟の度合いが足りなかったのだと思います。

高校進学のときのように、覚悟を持って自ら選んだ進路ではなく、他人に言われ、なんとなく決めた道ではいけなかったんです。

引用元:知るぽると

原晋監督は引退された時まだ27歳でした。

選手寿命が尽きた訳でもなく、中途半端に終わってしまったことに、どこかやりきれない気持ちが残ったそうです。

原晋監督(青学)の経歴

引退後、原晋監督がセカンドキャリアとして選んだのは、陸上の指導者ではありませんでした。

陸上部という肩書きがなくなった後も中国電力に残り、サラリーマンとして再スタートをされています。

そしてそこから約10年間、サラリーマン生活を送られていました。

その10年間は陸上の世界とは一切関わらず、テレビも観なければ、監督やコーチなどの関係者とも連絡を取らなかったそうです。

しかし2004年、青山学院大学陸上部の監督としてのオファーを受け、中国電力を退社して妻・美穂さんと共に上京されています。

「世羅高校の後輩に同じ広島で働く青学OBがいました。

その彼が『原なら』と推してくれたのです。

箱根で走った経験も、監督経験もない者が箱根駅伝をめざすチームを率いるなんて異例中の異例です。

でも、すべてを一新して箱根に挑戦したいという青学関係者の熱い思いに共感しましたし、旧来型の指導法ではなく、理論に裏打ちされた指導法で箱根をめざしたかった。

そして、原は任せたら確実に成果を出す男だと、陸上界でも証明したかった。

引用元:知るぽると

原晋監督は監督就任時、「箱根駅伝に3年で出場、5年でシード権、10年で優勝争い」と宣言していました。

しかし就任3年目にあたる2006年、第82回箱根駅伝予選会で16位と惨敗し、箱根駅伝に3年で出場という約束を果たすことが出来ませんでした。

この結果に大学幹部から「話が違う」と責められ、青学陸上部の長距離部門は廃部寸前、監督も辞任のピンチを迎えます。

しかし、原晋監督はここで営業マン時代に培ったプレゼン力で大学幹部を説得し、猶予を得ます。

そして監督就任から5年目の2009年1月、青学陸上部を33年ぶりに箱根駅伝出場に導きました。

青学陸上部の箱根駅伝の成績がこちらです。

2009年(第85回) 22位

2010年(第86回) 8位(41年ぶりのシード権獲得)

2011年(第87回) 9位

2012年(第88回) 総合5位(往路7位・復路7位)

2013年(第89回) 総合8位(往路6位・復路9位)

2014年(第90回) 総合5位(往路5位・復路6位)

2015年(第91回) 総合優勝(往路・復路ともに首位)

2016年(第92回) 総合優勝(往路・復路ともに首位)

2017年(第93回) 総合優勝(往路・復路ともに首位)

2018年(第94回) 総合優勝(往路2位)

2019年(第95回) 総合2位(往路6位)

2020年(第96回) 総合優勝(往路1位・復路2位)大会新記録で優勝

2021年(第97回) 総合4位(往路12位・復路1位)

2022年(第98回) 総合優勝(往路1位・復路1位)大会新記録で優勝

2009年以降出場し続けていますし、シード権を取った2010年からは1度もシード権を落としていません。

画像引用:Twitter

そして2015年の初優勝を機会に、原晋監督がメディアに出て発言することも多くなっていきました。

メディアへの露出が増えると、色々な方面から叩かれたりすることもあると思いますが、監督のモットーは「出過ぎた杭は打たれない」だそうで、メディアを通じて持論を述べ続けていらっしゃいます。

原晋監督(青学)は中国電力時代伝説の営業マンだった?

陸上を引退後、サラリーマンとして再スタートを切った原晋監督は、同期達が本社で活躍する中、入社5年目にして一から仕事を覚える日々を送ることなりました。

そして、山口県徳山市(現・周南市)にある小さな営業所に配属されます。

しかしその営業所で、約1000万円もする企業用の蓄熱式空調システム「エコアイス」を、社内で1番売り上げ、一目置かれる存在になっていくのです。

そして、10年間のサラリーマン生活のうち、最後の3年間は社内の新規事業に立ち上げメンバーとして参加し、新会社を軌道にのせます。

当初、5人でスタートしたその事業は、120人ほどに成長し現在も続いています。

こうした経歴から、原晋監督は『伝説の営業マン』を自称されているようです。

そして、この営業マン時代の経験が、今の青学陸上部の指導にも生かされているのだそうです。

原晋監督(青学)のプロフィール

画像引用:Number

名前:原晋(はら すすむ)

生年月日:1967年3月8日

年齢:55歳(2022年12月現在)

出身地:広島県三原市糸崎町

出身大学:中京大学

好きな食べ物:お好み焼き

嫌いな食べ物:納豆

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原晋監督(青学)の年収がヤバいって本当?

画像引用:Twitter

原晋監督は2019年4月から、青山学院大地球社会共生学部・地球社会共生学科の大学教授に就任されています。

それまでは、青学の嘱託職員として青学陸上部の監督を務めていましたが、大学教授になったことで年収も大幅に上がったと思われます。

また、原晋監督はメディアへの出演や講演会なども行っているため、それら全てを合わせると相当な年収になっているのではないかと話題になっているようです。

原晋監督(青学)の年収の内訳は

画像引用:MBSコラム

原晋監督の収入の内訳はこちらです。

・大学教授 1080〜1300万円

・講演料 5000万円

・テレビ出演 200万円

・書籍の印税 100万円

・その他 50〜100万円?

合計すると6000万円は余裕で超えています。

原晋監督の本業は大学教授ですが、こうしてみると講演料での収入が群を抜いています。

どうやら、原晋監督の講演はとても人気があるようです。

画像引用:四国中央市HP

著名人の講演会を仲介するサイト内でも、人気講師ランキング第1位として紹介されています。

第1位は青山学院大学陸上競技部長距離ブロック監督、同大学地球社会共生学部・教授の原晋氏。
テレビなどメディア出演も多く、知名度も高い講師です。

原晋監督の講演依頼数は、抜きん出ています。

これまでの陸上界の常識を打ち破り、新たな理論で日本学生長距離界の記録を塗り変えてきた実力者。その高い評価が、講演依頼につながっているのでしょう。

原晋監督の講演では、ビジネスイノベーションや組織改革のヒントが散りばめられています。
飽きさせない話しぶりも人気の理由です。

引用元:speakers.jp

2位以下に、岸博幸さんや古田敦也さん、さかなくんなどの著名人が並んでいる中で、原晋監督への講演依頼数は抜きん出ているというのですからすごいです。

この講演料が、1回100万円を超え、さらに年間に50回もの講演をこなされていると言われています。

なので、100万円×50回で5000万円となりますね。

年間50回の講演というのは、単純計算で月に4〜5回となるので、ほぼ毎週講演をしているということになります。

大学教授やテレビ出演をしながら、陸上部の監督も務めている原晋監督が、週1ペースで全国各地で講演を行う、というのが本当だとするとすごいです。

画像引用:テレ東プラス

テレビの出演料については、原晋監督はテレビ出演の回数が年間20回を超えるとされており、コメンテーターなどの相場は1回10万円程と言われている為、10万円×20回で想定すると200万円程になると予想されます。

しかしこれについては、お正月の箱根駅伝の結果などでも回数が変わってくるのかもしれません。


そして、原晋監督は今までに12冊の書籍を出版されています。

書籍の印税は、売上の10%程が著者に入るとされていて、合わせると年間で50万〜100万円程になるのではないかと言われています。

その他にも、CMなど様々なお仕事をされていて、これに関してはその年ごとにかなり変動していると思われます。

画像引用:デイリー

最近も風邪薬のCMで山本美月さんと共演されたりと活躍の場を広げています。

画像引用:YouTube

ちなみに、サラリーマン時代に働いていた中国電力のCMにも出演されています。

原晋監督(青学)の大学教授の給料

画像引用:NHKオンライン

先程も書いたように、現在の原晋監督の本業は大学教授です。

原晋監督が大学教授になられた時、年齢は52歳とかなり遅めのスタートでした。

大学教授全体の平均年収が1080万円で、55歳の大学教授の平均年収が1300万円とされている為、原晋監督の大学教授としての年収もこの間ではないかと予想されています。

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まとめ

青学陸上部の監督として有名な原晋監督ですが、監督業以外にもたくさんのお仕事をされているようです。

かなりお忙しい日々を過ごしていらっしゃることが想像できますが、2023年のお正月の箱根駅伝での青学の走りにも期待したいです。

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