【画像】川淵三郎の若い頃がかっこいい!サラリーマン時代から現在までをまとめてみた!

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2021年2月11日現在、女性蔑視発言で辞任の意向を伝えた東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の後任に元日本サッカー協会会長の川淵三郎さんで調整中との事です。

川淵三郎さんと言えばサッカーJリーグの初代チェアマン理事長)として有名ですが、その後日本バスケットボール協会会長、東京オリンピック・パラリンピック選手村村長に就任していました。

実は川淵三郎さんは若い頃、1964年(当時28歳)に行われた東京オリンピックでサッカー日本代表として出場もされています。

そんな川淵三郎さんの若い頃、サラリーマン時代から現在までをまとめてみました。

追記2021年2月12日 川淵三郎さんの後任は見送りになりました。

 後任には、森氏が前日に会談し、会長就任を打診した日本サッカー協会元会長の川淵三郎氏(84)が確実となっていたが、大会委関係者によるとこの動きを政府が問題視。

「引責する人物の後継指名はありえない」と、難色を示したという。

引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/474ca7ba0f2e5043325a1d0bedbf0bcf245a26fd

 

森喜朗さんの若い頃についてはこちらの関連記事をお読みください。

【画像】森喜朗の若い頃がラガーマンでイケメン!頑固な性格は大学時代の挫折が原因?

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【画像】川淵三郎の若い頃|高校・大学時代

(画像引用:https://info.asahi.com/shukatsu/asakyu/_–3_2.html)

こちらの画像は川淵三郎さんの大阪府立三国丘高校時代の写真です。

決してイケメンではないですが、かっこいい青年ですね。

川淵三郎さんは大阪府泉北郡高石町(現・高石市)の出身で、父・川渕眞一さん、母、淑子さんの3男として生まれます。

川淵三郎さんの学歴はこちらです。

1943年: 大阪府高石町立高石国民学校入学

1949年 :大阪府高石町立高石中学校入学・野球部

1952年 :大阪府立三国丘高等学校入学・サッカー部

1957年 :2浪して早稲田大学第二商学部商学科に進学・サッカー部

川淵三郎さんと言えばサッカーのイメージでしたが、高石町立高石中学校時代は野球部で、大阪府立三国丘高校に入学してからサッカーを始めます。

 

サッカーを始めた理由は?

「川淵三郎 大阪府立三国丘高校」の画像検索結果

川淵三郎さんがサッカー部へ入った理由は、なんと試合で四国に行ける!という誘いだったそうです。

川淵三郎さんが大阪府立三国丘高等学校入学したのは1952年です。

終戦したのが1945年ですから1952年は終戦後まだ7年しか経っていません。

そんな時代ですから大阪府高石から四国に行くっておそらく凄い事だったのだと思います。

川淵三郎さんはサッカーを始めた当初、こんなに痛くて泥臭いスポーツなんか早く辞めてやる!っと思っていたそうです。

しかし段々とドリブルで相手を抜くのが快感になってきました。サッカーが面白くてしようがなかったそうで、サッカーにどっぷりとハマったとの事。(ポジションはセンターフォワードCF)

こちらの画像は三国丘高等学校サッカー部のメンバーです。

「川淵三郎 古河電工退社」の画像検索結果

(画像引用:https://www.ssf.or.jp/files/story_17.pdf)

川淵三郎さんは前列左から3番目です。

早稲田大学時代

「川淵三郎 ローマ五輪アジア」の画像検索結果

こちらの画像は1959年に行われたローマ五輪アジア予選の時のモノです。

出場メンバーに川淵三郎さんの名前がありますよね。

川淵三郎さんは1957年に2浪して早稲田大学に入りサッカー部(当時はア式蹴球部)に入部し1年目からレギュラーで活躍。

1958年(早稲田大学2年生)にはサッカー日本代表入りし、1959年(早稲田大学3年生)のローマ五輪アジア予選にも出場されています。

「川淵三郎 ローマ五輪アジア」の画像検索結果

この画像の中に川淵三郎さんがいるはずですが、誰が誰だか分かりませんね。

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【画像】川淵三郎の若い頃|古河電工サッカー部現役時代

「川淵三郎 古河電工時代」の画像検索結果

こちらの画像は川淵三郎さんが古河電気工業サッカー部時代の写真です。

やはりイケメンかと言われると?ですがかっこいいです!

川淵三郎さんは早稲田大学卒業後1961年に古河電気工業へ就職されました。

入社して2年目に結婚

「川淵三郎奥さん」の画像検索結果

(画像引用:https://www.asahi.com/articles/photo/AS20190825001516.html)

こちらの画像に右側が川淵三郎さんの奥様・旧姓淡野康子さんです。

川淵三郎さんは1962年12月11日に入社して2年目には結婚されています。

その当時の川淵三郎さんはサッカー日本代表チームの合宿があり、合宿を抜け出して結婚式に出たそうです。

奥様・旧姓淡野康子は川淵三郎さんの地元・高石市にある羽衣学園高等学校の卒業生だそうで、お見合いなのか?もしかしたら高校時代からのお付き合いなのか?

詳細は不明ですが、愛妻家だそうです。

川淵三郎さんと奥様・旧姓淡野康子さんの間には2人の娘さんがいらっしゃり、孫の1人は男の子で拓郎くんという名前のようです。

 

こちらの画像は川淵三郎さんの娘婿さんのようです。


川淵三郎さんは麻雀が好きなのかも知れません。

1964年東京オリンピック・サッカー日本代表で出場

「川淵三郎1964年東京オリンピック・サッカー日本代表で出場」の画像検索結果

1964年に東京で行われたオリンピックで川淵三郎さんはサッカー日本代表として出場され、対アルゼンチン戦でゴールをあげます。

その当時の事を川淵三郎さんはこのように言われています。

アルゼンチンに勝った試合が一番印象に残っています。

この試合は80分間は全くだめで、残りの10分間だけしっかり試合ができたのです。

釜本選手から来たセンタリングをヘディングシュートして1点入れましたし、最後は決勝点をアシストもしました。

最悪の状態でそれなりの結果が残ったということが印象深く、ある意味で自分の人生を象徴している部分があると思っています。

引用:https://www.joc.or.jp/sp/past_games/tokyo1964/topathleteinterview/kawabuchisaburo.html

このように川淵三郎さんは東京オリンピックでアルゼンチンに勝った事が一番嬉しい事だったようですね。

こちらの動画は川淵三郎さんがゴールをあげる貴著な動画です。

本当にかっこいいです。

こちらの画像はその当時の川淵三郎さんです。

(画像引用:https://www.joc.or.jp/sp/past_games/tokyo1964/topathleteinterview/kawabuchisaburo.html)

川淵三郎さんかっこいいですね!

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【画像】川淵三郎の若い頃|古河電工サッカー部現役引退後

「川淵三郎 古河電気工業サッカー部監督就任」の画像検索結果

(画像引用:https://newspicks.com/news/2942487/body/)

こちらの画像は川淵三郎さんがサラリーマン時代の写真ですが、高校からサッカーを始めてずっとサッカー一筋に頑張っていたように思われていますが、その当時はサッカーはプロではなく実業団クラブでした。

ですからサラリーマンとしても仕事も頑張る必要がありました。

1970年 (34歳):川淵三郎さんは現役を引退引退(日本代表通算68試合、18得点)します。

その後古河電工サッカー部にはコーチや監督として関わります。そして日本代表にも。

こちらの画像はサッカー日本代表の監督時代です。

「川淵三郎 古河電工退社」の画像検索結果

こちらの画像も日本代表監督時代ですが険しい表情です。

「川淵三郎若い頃」の画像検索結果

  • 古河電気工業サッカー部コーチ就任。
  • 1972年(36歳) 古河電気工業サッカー部監督就任(1975年退任)。
  • 1976年(40歳) 日本サッカーリーグ常任運営委員就任(1979年退任)。10月、伸銅事業部第1販売部課長。
  • 1980年(44歳)6月、LA五輪強化部長に就任。8月、系列会社「谷商株式会社」の常務取締役に出向。11月、日本代表監督代行就任
  • 1981年(45歳) 日本代表監督退任。

川淵三郎さんはサッカーに関わりながらもサラリーマンとして出世もされていますから、本当に素晴らしいですよね。

サラリーマンとしてもしっかりと結果を出してきた川淵三郎さんの役職はこちらです。

  • 1982年(46歳)古河電気工業・名古屋支店金属営業部長。
  • 1984(48歳)年日本サッカー協会強化部長退任。
  • 1988年(52歳)古河産業へ出向、取締役伸銅品部長。8月、JSL総務主事就任。10月、日本サッカー協会理事就任。
  • 1989年(53歳)JFA・プロリーグ委員会委員長就任。
  • 1990年(54歳)プロリーグ検討委員会委員長就任。
  • 1991年(55歳)強化委員長、プロリーグ設立準備室長就任。11月、社団法人日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)設立、初代チェアマン就任。11月、30年勤続した古河電気工業退社。

このようにしっかりと会社でもしっかりと実績の残してきた川淵三郎さんですが、51歳の時に左遷に合いぶち切れます。

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【画像】川淵三郎の若い頃|初代チェアマンから現在

「川淵三郎 Jリーグ開幕」の画像検索結果

(画像引用:https://kaigo110.agriart.info/?p=861)

こちらの画像は川淵三郎さんがサッカーJリーグ初代チェアマンに就任して4年後(60歳?)くらいの写真ですがかっこいいですよね。

1991年(55歳)の時に社団法人日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)が設立され初代チェアマン就任。

30年勤続した古河電気工業退社し、今後の人生はサッカーにかけるぞ!と思われたそうですが実はサラリーマンでの左遷がきっかけでした。

初代チェアマンに就任したのは左遷があったから

「川淵三郎 古河電工監督」の画像検索結果

今でこそ色々は問題がありますが、サッカーJリーグは成功しています。

しかし当時は日本でプロサッカーは成功しないと言われていました。

そんな中で見事に川淵三郎さんがサッカーのプロ化に成功したのは、サラリーマン時代の左遷が原動力になったようです。

卸問屋出向などを経て、私が古河電工名古屋支店の金属営業部長として5年ほど経った頃です。

次は本社に戻って営業部長、そして、いずれは取締役になれるかもしれないと考えていた51歳の時、子会社への出向という辞令が下りました。

レギュラーメンバーからいきなり外されて放り出されたような、この日のショックは今も忘れられません。

ここまで頑張ってきたのに、サラリーマン人生の先が見えたという思いで、頭が真っ白になりました。

その同じ時期に、日本サッカーリーグ(JSL)の総務理事にという依頼が来たのです。

JSLは各企業チームの部長たちがプロ化について議論し始めていました。

会社員としての目標を見失っていた私は、自分には何もないという空虚な気持ちでしたが、残りの人生をサッカーに懸けようと思い直します。

今では想像もできませんが、25年ほど前、日本のサッカーは人気がなく、競技場はいつもガラガラ。

世界では一番人気があるスポーツなのに、あまりにも残念な状況でした。

だからこそ改革への情熱が湧いたのです。

引用:https://info.asahi.com/shukatsu/asakyu/_–2_2.html

詳しくはこちらの本をお読みください。

「51歳の左遷」からすべては始まった 大逆転のリーダーシップ論

日本バスケットボール協会会長に就任

「川淵三郎 日本バスケットボール協会会長に就任」の画像検索結果

(画像引用:http://www.japanbasketball.jp/news/24874)

川淵三郎さんは2002年(66歳)の時にサッカーJリーグチェアマンを退任、日本サッカー協会会長(キャプテン)に就任されます。

その後日本サッカー協会名誉会長を退任し、同最高顧問に就任。

2015年(79歳)には日本バスケットボール協会会長に就任されます。

川淵三郎さんがなぜ縁もゆかりも無いバスケットボールの世界に入ったかというとこのような事情がありました。

2014年11月26日、日本バスケットボール協会は国際バスケットボール連盟から“無期限の加盟資格停止処分”を下され、日本代表の国際試合出場が不可能となります。

それを川淵三郎さんは日本バスケ界をわずか6ヶ月で国際バスケットボール連盟からの制裁解除に導いています。

川淵三郎さんは本当に困難な中で力を発揮されますね。

東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長就任?

2021年2月11日川淵三郎さんはどうやら東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の就任されるようです。

こちらの川淵三郎さんのTweetを見るとすでに記者さんがマークしていたようです。

川淵三郎さんは会長就任についてこのように言われています。

「期待に添うべく、僕としては9月までの短い間だからベストを尽くせばいい。

僕の人生の最後の大役と思ってベストを尽くしたい。

前向きにならざるを得ないじゃない。

森さんがああいう状況で」との姿勢を示した。

引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/f58c7ef8f4e7b2fd525b7d5f672dab359399928b

流石です。

今までどんな困難な中でも結果を出してきた川淵三郎です。

何とかしてくれそうですね。

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川淵三郎のプロフィール

「川淵三郎」の画像検索結果

2021年2月現在東京オリンピックの開催はコロナ渦の中、色々な問題があり開催されるのか?中止なのか?まだはっきりと分かりません。

この中で何とかしてくれるのが川淵三郎さん。

期待が大きいです。

川淵三郎さんにはこれまでなぜか死亡・死去の情報が流れる事がありましたが、どうやらそれは川淵三郎さんの友人が亡くなった事でその噂が流れたようです。

川淵氏はツイッターで「30年来の親しい友人がコロナウイルスで亡くなった。

余りにも身近で同年代だけに悲しみよりも怒りのやり場がない。

入院してから二週間で旅立ってしまったとの事」と悲痛な思いをにじませた。

「志村けんさんの話から想像して一番辛いと思うのはご家族は見舞いにも臨終にも立ち会えない事。入院中の本人もそれが最も辛かったのでは」と慮っている。

引用:https://web.gekisaka.jp/news/detail/?300696-300696-fl

ご本人もこのようにTweetされています。

名前:川淵三郎(かわぶち さぶろう)

生年月日:1936年12月3日

年齢:84歳(2021年2月現在)

出身地:大阪府高石市

身長:172㎝

体重:72㎏

血液型:不明

 

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まとめ

【画像】川淵三郎の若い頃がかっこいい!サラリーマン時代から現在までをまとめてみた!について記事にしました。

川淵三郎さん本当にかっこいいですね!

何とか東京オリンピックを成功させて欲しいですね。

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