木村拓哉(キムタク)さんは元SMAPのメンバーで、今でも俳優として数々の作品に出演されています。
今でもアラフィフとは思えない格好良さですが、「若い頃がイケメン過ぎる」と20代の若い方達からも話題になっているようです。
木村拓哉(キムタク)さんの全盛期をご存じの世代の方からすれば、木村拓哉(キムタク)さんといえばロン毛が似合うかっこいいアイドル、のイメージがある方も多いと思います。
そこで今回は、木村拓哉(キムタク)さんの全盛期がどれほどカッコ良かったのかをご紹介します。
奥さまの工藤静香さんや長女のCocomiさんについてはこちらの関連記事をお読み下さい。
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- 【画像】木村拓哉の若い頃がイケメン過ぎる!デビューから現在まで
- ジャニーズに入所した理由
- 「スケートボーイズ」のメンバーとしてデビュー:1987年(15歳)
- SMAP結成:1988年(16歳)
- 『第42回NHK紅白歌合戦』にSMAPとして初出場:1991年(19歳)
- テレビドラマ『その時ハートは盗まれた』に出演:1992年(20歳)
- テレビドラマ『若者のすべて』に出演:1994年(22歳)
- テレビドラマ『ロングバケーション』に出演:1996年(23歳)
- 工藤静香と結婚:2000年(28歳)
- 映画『武士の一分』で優秀主演男優賞を受賞するも辞退:2006年(34歳)
- SMAP解散でソロタレントになる:2016年12月31日(44歳)
- テレビドラマ『BG〜身辺警護人〜』に出演:2018年(45歳)
- テレビドラマ『グランメゾン東京』に出演:2019年(47歳)
- テレビドラマ『教場シリーズ』に出演:2020年・2021年・2023年
- 木村拓哉のプロフィール
- 【画像】木村拓哉の若い頃|全盛時のロン毛がかっこいい!
- まとめ
【画像】木村拓哉の若い頃がイケメン過ぎる!デビューから現在まで
今でもかっこいい木村拓哉さんですが、若い頃はイケメンの代名詞のような存在で、数々の社会現象を起こしてきました。
若い頃の写真を見ると、本当にかっこ良くてびっくりしますよね。
当時、「いつどんな角度から撮ってもカッコいい」と言われていたそうです。
そんな木村拓哉さんのイケメンっぷりを、デビュー当時から現在まで、順番にご紹介します。
ジャニーズに入所した理由
木村拓哉さんがジャニーズ事務所に入所したきっかけは、親戚が勝手に履歴書を送っていた、というジャニーズあるあるだそうです。
ジャニーズ入所は、親戚が勝手に履歴書を送ったことがきっかけ。
しかし当時、オーディションの通知が来るも「4回くらいバックレて。結構、アンチだったので」と、乗り気ではなかったという。
当時は動物園の飼育係になりたいと思っていたそうで、「どうぶつが大好きで。だからムツゴロウ王国とか本気で考えてた」と明かした。
引用元:日刊スポーツ
動物園の飼育係って、なんだか意外な感じがします。
もし、木村拓哉さんが動物園やムツゴロウ王国にいたら、イケメン飼育員で話題になっていたかもしれませんね。
5回目のオファーが来た時に母から、「やりたくてもやれない人もいるんだから1回行ってみなさい」と言われ、仕方なく事務所に向かったそうです。
事務所からは「ジャニーっていうのがいるから会ってくれ」と言われていたそうで、木村拓哉さんはジャニーさんは外国人だと思っていたのだとか。
事務所に着いて「ジャニーさんはどこにいますか」と聞くと、「僕だよ。Youとりあえず踊っちゃいなよ」と言われ、そのまま入所することになったのだそうです。
ちなみに、木村拓哉さんの入所日は1987年11月15日です。
これは、元SMAPのメンバーである稲垣吾郎さんや、香取慎吾さんと同じ日なのだそうです。
SMAPのメンバーは、3人同期だったんですね。
「スケートボーイズ」のメンバーとしてデビュー:1987年(15歳)
木村拓哉さんは入所してすぐに、「スケートボーイズ」のメンバーに選ばれています。
スケートボーイズは、1987年11月26日に発売された「光GENJI」の2ndシングル『ガラスの十代』のバックで、スケートボードに乗るグループとして、12名で結成されました。
木村拓哉さんは、入所後2週間もしないうちにスケートボーイズとして活動を開始していたんですね。
スケートボーイズは、1988年のトンボ学生服のCMにも出演しています。
入所して1年もしないうちにCM出演までされていたとは驚きです。
SMAP結成:1988年(16歳)
スケートボーイズが結成された翌年の1988年4月、スケートボーイズのメンバーの中から選ばれた
・木村拓哉さん
・中居正広さん
・森且行さん
・稲垣吾郎さん
・草彅剛さん
・香取慎吾さん
の6人で『SMAP』が結成されました。
SMAPとは、「Sports Music Assemble People」の略で、「スポーツと音楽の融合」「スポーツと音楽をするために集められた人々」という意味が込められていると言われています。
ただ、これは後付けで、GENJIのメンバーも名前の頭文字をとったという説もあるそうです。
ちなみにSMAPの6人は、1989年もトンボ学生服のCMに6人で出演されていました。
『第42回NHK紅白歌合戦』にSMAPとして初出場:1991年(19歳)
SMAPは、結成されてから3年後の1991年9月9日、『Can’t Stop!! -LOVING-』でCDデビューをしています。
『Can’t Stop!! -LOVING-』は、初週8.1万枚を売り上げましたが、オリコン週間CDランキングでは初登場2位止まりでした。
あのSMAPでも、最初から1位を取れたわけではなかったのですね。
というのも、『Can’t Stop!! -LOVING-』の発売された週は、CHAGE&ASKAの『SAY YES』と同じだったそうで、大ヒット曲には及ばず2位止まりとなったようです。
画像引用:Twitter
そして同年、『第42回NHK紅白歌合戦』にも初出場し、白組で2番目に歌唱しています。
しかし、なんと歌唱途中から歌詞テロップが表示されなくなるトラブルがあったそうです。
テレビドラマ『その時ハートは盗まれた』に出演:1992年(20歳)
木村拓哉さんの本格的な連続ドラマデビュー作と言えるのが、『その時ハートは盗まれた』です。
ちなみにこのドラマは内田有紀さんのドラマデビュー作でもあります。
木村拓哉さんは、主演の一色紗英さんが片想いしている高校の先輩「片瀬雅人」を演じました。
『その時ハートは盗まれた』の脚本は、後に木村拓哉さんの大ヒットドラマを多数手掛ける、北川悦吏子(きたがわ えりこ)さんが担当されていました。
テレビドラマ『若者のすべて』に出演:1994年(22歳)
画像引用:amazon
木村拓哉さんが22歳の時に出演されたのが『若者のすべて』です。
仲の良い同級生6人を中心としたドラマなのですが、キャストが豪華で驚きます。
木村拓哉さんとW主演を務められた萩原聖人さんをはじめ、深津絵里さん、大沢たかおさん、篠原涼子さん、山口紗弥加さんなど、今では主演級の方々が多数出演されていました。
このドラマで木村拓哉さんが吸っていたタバコ「ハイライト」や、着用していた革ジャン「エアロレザー」やエンジニアブーツ「RED WING」が流行し、キムタクブームが巻き起こったそうです。
また、このドラマの主題歌であるMr.Childrenの「Tomorrow never knows」も大ヒットしました。
しかし、当時の木村拓哉さんと萩原聖人さんは不仲だったことを、萩原聖人さんが2019年4月に出演された「ダウンタウンなう」で明かされています。
撮影現場で萩原が、中江監督に“ちょっと玄人好みの芝居やろうよ”と声をかけると、側でそれを聞いていた木村が監督に対して“玄人好みの芝居ってなに?”と応戦。
このエピソードについて萩原は「それは覚えてない!本当ですか?」と話すと、撮影当時の木村との関係性について「バチバチでしたね~」と振り返った。
引用元:クランクイン
しかしお二人はその後も2度共演されており、今では萩原聖人さんが木村拓哉さんのことを「拓哉」と呼ぶなど、すっかり和解しているようです。
テレビドラマ『ロングバケーション』に出演:1996年(23歳)
1996年4月から、木村拓哉さんと山口智子さんのW主演で放送され大ヒットしたのが、フジテレビの月9ドラマ『ロングバケーション』です。
木村拓哉さんが、このドラマでピアニスト瀬名秀俊を演じたことで、ピアノを習い始める男性が急増し、「ロンバケ現象」と呼ばれる社会現象を巻き起こしました。
『ロングバケーション』は初回視聴率30.6%、最高視聴率36.7%という高い視聴率を記録しました。
しかし、ピアニストの役作りは大変だったようで、2018年のラジオにて、演じるのが大変だった役を聞かれた木村拓哉さんは、瀬名秀俊を1位にあげています。
1位には『ロングバケーション』で演じたピアニスト・瀬名を挙げた。
「難しかったです。ピアノということでやったんすけど、やっぱ無理ありますよ」とピアノ未経験者でありながらピアニストの役を演じた苦労を吐露した。
ある時、撮影にあたってピアノの先生からレッスンを受けた際などは
「『スタートそこですか!?』っていうくらいクラシックの曲を弾くんですよ。『いや、俺『猫踏んじゃった』のみなんですけど…っていう(笑)」
と面食らったことを告白。最後に「音楽家は厳しいっす。演奏っていうところはウソつけないっすよ」と改めてその難しさを語った。
引用元:マイナビニュース
工藤静香と結婚:2000年(28歳)
人気絶頂の中、木村拓哉さんは工藤静香さんとの結婚を発表し、世間を驚かせました。
1999年に交際が報道されていたものの、当時工藤静香さんは妊娠4ヶ月で、「キムタク、パパに」などと大々的にワイドショーで報じられました。
この時工藤静香さんのお腹にいたのが長女のCocomiさんで、2003年には次女のKōkiさんが生まれています。
人気絶頂のジャニーズのアイドルが出来ちゃった結婚ですから、そこから人気が落ちるかと思われましたが、人気が衰えることはなく、その後も木村拓哉さんは高視聴率のドラマに多数主演されています。
映画『武士の一分』で優秀主演男優賞を受賞するも辞退:2006年(34歳)
画像引用:トレンドニュース
2006年、山田洋次監督の『武士の一分』が公開され、木村拓哉さんは小侍の三村新之丞役で主演を務められました。
『武士の一分』の興行収入は40億円を越え、当時の松竹配給映画としては歴代最高記録を樹立するなど、大ヒット作品となりました。
画像引用:Yahoo!映画
木村拓哉さんの時代劇出演も話題となったこの作品は、第30回日本アカデミー賞の全13部門中12部門にノミネートされています。
しかし、主演の木村拓哉さんはジャニーズ事務所の方針により受賞を辞退されています。
第30回日本アカデミー賞の優秀賞が19日、都内で発表され、映画「武士の一分」の木村拓哉(34)が優秀主演男優賞を辞退したことが発表された。
「賞レースには参加しない」という所属のジャニーズ事務所の方針を貫いたためだが、水面下で行われるはずの辞退者が発表の席上で公表される珍しい事態になった。
「武士の一分」は、優秀作品賞や山田洋次監督の優秀監督賞をはじめ、優秀主演男優賞以外の対象全13部門で受賞した。
木村の辞退を発表した日本アカデミー賞協会の富山省吾事務局長は「これだけ受賞されたので、ぜひスタッフやキャストの全員で(木村に)レッドカーペットを歩いていただきたかった」と、無念そうに話した。
辞退理由は「最優秀賞を競う場には出させたくない」という、ジャニーズ事務所の意向だった。
引用元:日刊スポーツ
当時のジャニーズ事務所は、こういった賞レースには参加しない意向を貫いていました。
しかしその後、2015年に岡田准一さんが、2016年には二宮和也さんが最優秀主演男優賞を獲得しています。
もしかしたら今後は、レッドカーペットを歩く木村拓哉さんを見る機会があるかもしれませんね。
SMAP解散でソロタレントになる:2016年12月31日(44歳)
画像引用:スポニチ
2016年、SMAPの解散騒動が世間を騒がせました。
ことの発端は、2015年に週刊文春が報じたメリー喜多川さん(当時副社長)へのインタビュー記事でした。
インタビュー中に、メリー喜多川さんがSMAPのマネージャーを務めていた飯島三智(いいじま みち)さんに対し、「派閥争いがあるならSMAPを連れて事務所を出なさい。私はジュリーを残し飯島は辞めさせます」と突き放したことで、飯島三智さんは独立に向けて動き始めました。
飯島三智さんの退職を受けて、SMAPのメンバーも共に独立する計画を模索しますが、木村拓哉さんが事務所に残る道を選択し、グループの独立に反対します。
他のSMAPメンバーも事務所と話し合い、SMAPを存続していくことになりました。
そして、2016年1月18日放送の『SMAP×SMAP』で解散騒動への謝罪が行われました。
しかし、その後はSMAPとしての活動は激減し、同年8月14日、メンバーのコメントと共にSMAPの年内解散が発表されました。
中居正広
「ファンの皆様、関係各位の皆様、我々SMAPが解散する事をご報告させて頂きます。ご迷惑をお掛けしました。ご心配をお掛けしました。お世話にもなりました。このような結果に至った事をお許しください。申し訳…ありませんでした…」木村拓哉
「この度の『グループ解散』に関して、正直なところ本当に無念です。でも、25周年のライブもグループ活動も5人揃わなければ何も出来ないので、呑み込むしかないのが現状です。沢山の気持ちで支えて下さったファンの方々、スタッフの皆さんを無視して『解散』という本当に情け無い結果になってしまいました。今は言葉が上手く見つかりません。」稲垣吾郎
「ファンの皆様、スタッフ関係者の皆様、この度はご心配ご迷惑をお掛けして本当に申し訳ございません。今の状況で五人での活動は難しいと思い、辛い決断ではありますが『解散』という形を取らせて頂く事になりました。どうか僕たちの意思をご理解頂けたらと思います。28年間本当にありがとうございました。」草彅剛
「この度僕たちSMAPは解散する道を選びました。いつも応援してくれたファンの皆様、支えてくれた関係者の皆様、グループ結成から28年間本当にありがとうございました。今後も精進して参りますので引き続き、温かく見守って頂けると嬉しく思います。」香取慎吾
「ファンの皆様、そしてスタッフ関係者の皆様。僕らSMAPは解散いたします。応援して下さった沢山の方々に心より感謝申し上げます。そして突然のお知らせとなりましたこと、深くお詫び申し上げます。」引用元:Wikipedia
SMAPは年末の紅白歌合戦への出場も辞退し、解散に向けての活動もないまま、2016年12月31日をもって解散しました。
解散後、他のメンバーは事務所を退所していますが、木村拓哉さんは現在もジャニーズ事務所でソロタレントとして活動されています。
テレビドラマ『BG〜身辺警護人〜』に出演:2018年(45歳)
画像引用:テレビ朝日
2018年1月、木村拓哉さんはドラマ『BG〜身辺警護人〜』に主演されています。
このドラマで木村拓哉さんはボディーガードの島崎章を演じ、最高視聴率は17.3%を記録しました。
2020年にはシーズン2も放送され、第1章、第2章共に斎藤工(さいとう たくみ)さんと共演されています。
若い頃の木村拓哉さんは恋愛ドラマのイメージが強かったですが、ボディーガード役の木村拓哉さんもかっこ良くて好評だったようです。
テレビドラマ『グランメゾン東京』に出演:2019年(47歳)
木村拓哉さんの令和最初の主演ドラマは『グランメゾン東京』でした。
このドラマではフレンチシェフを演じられています。
SMAP×SMAP終了後、木村拓哉さんのシェフ姿を見ることはなかったため、久しぶりの木村拓哉さんの料理姿が見られると、放送前からファンの間で話題になりました。
『グランメゾン東京』はミシュランガイドの全面協力により、パリの超高級三つ星レストラン「ランブロワジー」でクランクインしています。
なんと、「ランブロワジー」にテレビドラマのカメラが入ったのは世界初だったそうです。
テレビドラマ『教場シリーズ』に出演:2020年・2021年・2023年
木村拓哉さんは2020年の1月、フジテレビ開局60周年特別企画の新春ドラマ『教場』に主演されています。
このドラマで木村拓哉さんは白髪まじりで義眼の警察学校教官・風間 公親(かざま きみちか)を演じました。
木村拓哉さんの白髪はかなりのインパクトがありましたが、白髪姿でもダンディーでかっこいいと話題になりました。
警察学校の生徒役として、川口春奈さんや林遣都さんなどの豪華キャストも出演し、視聴率は15%を超えました。
第1弾が好評だったこともあり、翌2021年にも新春スペシャルドラマ『教場II』が放送されました。
第2弾の生徒役には、上白石萌歌さんや眞栄田郷敦さんといった人気俳優が出演し、こちらも13%を超える高視聴率となりました。
画像引用:サンスポ
2作続けて高視聴率を記録したことで、2023年の4月期にフジテレビで連続ドラマ化されることが決まりました。
連続ドラマのタイトルは、『風間公親-教場0-』で、月9枠での放送になるそうです。
木村拓哉さんの月9での主演は11回目となり、これは歴代1位です。
『HERO』以来9年ぶりとなる木村拓哉さんの月9、今からとても楽しみですね。
木村拓哉のプロフィール
画像引用:映画ナタリー
名前:木村拓哉
愛称:キムタク
生年月日:1972年11月13日
年齢:50歳(2023年1月現在)
血液型:O型
身長:176㎝
出身地:東京都調布市
家族:工藤静香(妻)、Cocomi(長女)、Kōki(次女)
【画像】木村拓哉の若い頃|全盛時のロン毛がかっこいい!
1990年代、ロン毛ブームが起こりました。
そのきっかけとなったのは、間違いなく木村拓哉さんです。
20代の頃の木村拓哉さんは、ロン毛にしていることが多く、ロン毛がトレードマークのようになっていました。
当時は街中に、木村拓哉さんを真似たロン毛男子がたくさんいたそうです。
女性だけでなく、男性から見てもかっこいい存在だったということですね。
木村拓哉の全盛時はいつ
木村拓哉さんは、もちろん今でも人気がありますが、全盛期と言われているのは1996年〜2003年頃のようです。
画像引用:Twitter
1996年は、SMAP×SMAPの放送が開始され、ドラマ『ロングバケーション』が大ヒットした年です。
画像引用:フジテレビビュー!!
そして翌年の1997年にも、ドラマ『ラブジェネレーション』が大ヒットしています。
画像引用:ORICON NEWS
2003年には、ダブルミリオンヒットとなったSMAPの『世界に一つだけの花』が発売されました。
ドラマ『グッドラック』が放送されたのもこの年です。パイロット姿がカッコ良かったですよね。
大体この期間が、木村拓哉さんの全盛期と言われているようですが、この間(2000年)に結婚もされています。
アイドルなのに、結婚しても人気が衰えなかったのはすごいですね。
木村拓哉の全盛時の伝説
全盛期の頃の木村拓哉さんの人気は、凄まじいものがありました。
どのくらい凄かったかというと、
・1994年から2008年まで、15年連続でファション誌『an・an』の企画「好きな男ランキング」で1位
・ドラマで着用したファッションや小物、髪型を真似る人が続出
・ドラマで乗っていた車のスピーカーのカスタム(CW200)を真似る人までいた
・出演していたCMのポスターが街に貼られると、至る所で盗難に遭い、木村拓哉さんのポスターのための警備員が配備された
ワイングラス触れ合う音の中で心に誓ったの
今度こそ本当のすてきな恋つかまえよう
キムタクさえもかすむような男Lets fall in love
いつか出逢えるあなたを夢見て・・・
(愛してるよ)
※『今夜はHearty Party』より一部歌詞抜粋
引用元:sumule
良い男の代名詞として、他のアーティストの歌詞に登場してしまうほど、木村拓哉さん=良い男として、当たり前のように世間に浸透していたということなのだと思います。
木村拓哉の全盛時のロン毛がかっこ良すぎる
1990年代にロン毛ブームを引き起こした木村拓哉さん。
それまでは、日本で男性のロン毛はあまり受け入れられていませんでした。
しかし、あまりにもカッコいい木村拓哉さんのロン毛姿に憧れる男性が続出したことで、街中にロン毛男性が増加し、一大ブームとなりました。
確かにカッコいいですよね。
こんなロン毛なら憧れて真似したくなるのも分かる気がします。
木村拓哉の全盛時の短髪もかっこいい
全盛期の頃の木村拓哉さんはロン毛のイメージが強いですが、役柄などによっては短髪にされることもありました。
短髪でもとてもカッコいいですね。
ロン毛の時と比べると、短髪の方が男らしい印象になる気がします。
全盛期の木村拓哉さん、短髪でもロン毛でもどっちでも似合っていますね。
今見ても、かっこ良さが神懸かっています。
まとめ
今でもかっこいい木村拓哉さんですが、若い頃のかっこよさは今見てもすごいですね。
全盛期の人気が凄まじかったのも納得です。
最近では芸能活動をされている娘さんのSNSで、時々プライベートな木村拓哉さんを見ることも出来ます。
ファンとしては嬉しいですよね。
今後も木村拓哉さんの活躍を楽しみにしたいと思います。
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