女優の真矢ミキ(まや みき)さん。
とっても綺麗で、かっこいいですよね。
そんな真矢ミキ(まや みき)さんは女優になる前、宝塚歌劇団で男役のトップスターを務めていました。
実は真矢ミキ(まや みき)さんは、宝塚“初”のことに数多く挑戦され、『ヅカの革命児』とも呼ばれた伝説のトップスターでもあるんです。
そこで今回は、『真矢みきの若い頃がかっこいい!宝塚時代の伝説エピソードを紹介!』と題し、真矢ミキさんの若い頃についてご紹介します。
同じ宝塚で仲が悪いと言われる天海祐希さんについてはこちらの関連記事をお読み下さい。
【画像】天海祐希の若い頃がイケメン過ぎる!宝塚時代から現在までを時系列に紹介!
【画像】真矢ミキの若い頃がかっこいい!宝塚歌劇団入団から退団まで
(画像引用:宝塚チャンネル)
現在では、綺麗な女優さんという印象のある真矢ミキさんですが、宝塚時代には男役を務めていました。
男役時代の真矢ミキさん、とってもかっこいいんです。
ここからは、真矢ミキさんの宝塚歌劇団入団から退団までを時系列でご紹介します。
宝塚音楽学校入学した理由:1979年(15歳)
真矢ミキさんは、「娘を宝塚に入れたい」と思っていたという母の影響で、中学1年生の頃から『宝塚コドモアテネ』という日曜教室に毎週通い、ダンスや声楽を習っていました。
タカラジェンヌを育成する宝塚音楽学校は、
「東の東大、西の宝塚」と呼ばれる狭き門。
一方、同音楽学校の設備と講師を活用した、子供向けの日曜教室「宝塚コドモアテネ」の入学は先着順で、枠は40人だった
(引用元:産経新聞)
宝塚コドモアテネは毎年入学希望者が多く、真矢ミキさんは父や兄が申込み前日から並んでくれたおかげで入ることができたそうです。
ちなみに、宝塚コドモアテネに通う子の9割は宝塚音楽学校への入学を希望するのだとか。
なので、受験資格が得られる中学卒業が近づく頃には、宝塚コドモアテネでの話題は受験の話題で持ちきりになっていきました。
「佐藤さん(真矢さんの本名)、受けるのかな」
「まさか。何もできないから絶対、受からないよ」―。
音楽学校受験まで残り半年の頃、コドモアテネの更衣室で、
私に気づかず噂話にふける同級生の声が聞こえ、着物を畳む手が止まりました。
子供なりに傷つきましたけれど、私が中3のとき、音楽学校受験を考えなくなっていたのは、まさに「何もできないから」。
悔しいけれど彼女らの指摘は、図星でした。
(引用元:産経新聞)
当時、宝塚音楽学校受験を諦めていた真矢ミキさんでしたが、この同級生の噂話を聞いてしまったことで、負けず嫌いに火がついたそうです。
即、宝塚音楽学校の受験を決意した真矢ミキさんは、中学卒業までの約半年間、学校や塾に加えて声楽などの個人レッスンに通うという分刻みの生活を送っていました。
勉強もレッスンも両立されていたんですね。
そして、無事に高校受験も終わり、記念受験くらいの気負いのない状態で、初めての宝塚音楽学校の試験に挑んだそうです。
試験会場は毎週通った教室ですから緊張も剝がれ、とにかくやる気だけはアピール。
1次試験を通過すると「何としても受かりたい!」という欲がもたげ、
その思いの強さは誰にも負けなかった。
2次試験では、ダンスで多少の失敗はしても「終わりよければすべて良し」とばかりに
最後は力いっぱい、笑顔やポーズを決めました。
(引用元:産経新聞)
宝塚音楽学校は、中学3年生から高校を卒業するまでの4回、受験のチャンスがあります。
なんと、真矢ミキさんは見事一発合格し、タカラジェンヌへの道を歩み始めました。
合格者の中で1回目の受験(15歳)で合格する割合は、毎年1割にも満たないくらいなのだとか。
真矢ミキさん、すごすぎます!
こうして、真矢ミキさんは1979年に「宝塚音楽学校」に入学しました。
松田聖子さんx真矢ミキさ対談⑮
聖子さん『これいくつくらいのときですか?』
ミキさん『多分16歳、老けてるんですけどね』www
昔も今もかわいいなぁ♡ pic.twitter.com/TWy51MXphi— アンジー (@AngieW0303) June 7, 2016
真矢ミキさん、16歳の時点でめちゃくちゃ綺麗でかわいいですね!
しかし、真矢ミキさんは宝塚音楽学校に入学後の試験で、39人中37番という成績をとってしまい、自分のことを劣等生だと思っていたそうです。
「宝塚の音楽学校時代、39人中成績が37番」と振られると、
真矢は「全国の皆さん、勇気を持ってくださいね。全然怖くないです」と話した。
大吉に「言ったらちょっと落ちこぼれ的な…」と言われても
「ちょっとどころじゃないですよね。
父がもう他界しましたけど、ユーモアのある人で
『惜しいな、もう少しでブービーだったのに』って言いましたから」
と笑わせた。
(引用元:スポニチ)
その後、いくら努力しても芸能の成績は思うように上がらなかったという真矢ミキさん。
「演劇」の授業など、同期も一から始める科目はいいのですが、
ピアノは子供の頃から習っている人には逆立ちしたってかないません。
振り返ると私、本当にどうかしていたと思うんですが、授業をサボるようになったんです。
特に本科生になって生活も解放されると、
ピアノの授業になると毎回、違う指に包帯を巻いて現れ、
「今日はお休みします」と見え透いた噓をつきました。
(引用元:産経新聞)
とはいえ、授業をサボっている間もただ怠けていたという訳ではなく、隣接する宝塚大劇場に通っていたのだとか。
私は熱烈な「宝塚ファン」になり、授業をサボって先輩方の舞台を食い入るように見続けました。
(引用元:産経新聞)
そこで、当時男役のスターだった大地真央さんに魅了された真矢ミキさんは、自分も男役になろうと決意されたそうです。
宝塚歌劇団入団(67期生)花組:1981年(17歳)
(画像引用:X)
宝塚音楽学校を卒業した真矢ミキさんは、1981年に67期生として宝塚歌劇団に入団し、「宝塚春の踊り」「ファースト・ラブ」で初舞台を踏んでいます。
とはいえ、音楽学校での成績が良くなかった真矢みきさんにとって、17歳で経験した初舞台はただただ劣等感が募るものだったそうです。
その後花組に配属されますが、同期が最下級生で全国ツアーに参加させてもらっている中、真矢ミキさんには全く活躍の場がなかったのだとか。
そうして18歳になった頃、真矢ミキさんは意を決して母に電話をし「宝塚を辞めたい」と伝えました。
恐る恐る母に、「大変、申し訳ないんだけれど、宝塚を辞めたいです」
って言ったら、まず笑われた。
「どっちでもいいけれどね。
ただ私、親戚にこの間、ごあいさつとしてハンカチ作って送ったばかりなの。
『真矢みき』って名前と、スミレの花の絵を添えて。
本当に恥ずかしいから、せめて2、3年はやりなさい」って。
母は笑っているけれど、かなり怒っている、と思いました。
(引用元:産経新聞)
この時の母の言葉で、真矢ミキさんは退団を踏みとどまることにしたようです。
そしてその翌年の1983年、真矢ミキさんは『メイフラワー』の新人公演で主役に大抜擢されました。
これ以降、劣等生だった真矢ミキさんにもチャンスが巡ってくるようになります。
18歳で宝塚を辞めなくて本当に良かったですね!
宝塚歌劇団67期生の同期は誰?
真矢ミキさんの同期である宝塚歌劇団67期生は、美人の期としても知られています。
そんな宝塚歌劇団67期生として知られるメンバーがこちらです。
・真矢ミキさん:元花組トップスター
・黒木瞳(くろき ひとみ)さん:元月組トップ娘役
・涼風真世(すずかぜ まよ)さん:元月組トップスター
・毬藻えり(まりも えり)さん:元星組トップ娘役
・燁明(よう あきら)さん:元星組男役
・北原遥子(きたはら はるこ)さん:元雪組娘役
真矢ミキさんは、現在も女優さんとして活躍されている黒木瞳さんや涼風真世さんと同期なんですね!
ちなみに、元星組男役の燁明さんは、元SexyZoneのマリウス葉さんの母としても知られている方です。
マリウス葉さんがダンスを始めたのは、母である燁明さんに憧れたからなのだとか。
また、娘役だった北原遥子さんは1984年に宝塚を退団後、1985年に起こった日本航空123便墜落事故の犠牲者の一人としても知られています。
『エデンの東』で花組トップスターに就任:1995年(31歳)
真矢ミキさんは、1992年から1995年までは、花組の2番手として活躍していました。
2番手と言っても、当時花組トップスターだった安寿ミラさんとほぼ同等の扱いを受けていて、真矢ミキさんと安寿ミラさんの男役同士のコンビは、当時話題を呼びました。
「一つ上の(トップスターだった)安寿(ミラ)さんと一緒にニコイチでずっと上がらせてもらって。
安寿さんがいたからできたと思うし」
(引用元:産経新聞)
そして安寿ミラさんが退団すると、1995年6月30日~8月7日に公演された『エデンの東』で真矢ミキさんが花組トップスターに就任しました。
1995年に「エデンの東」で花組トップになった時については
「毎日2500人という集客を、2回公演が多いので5000人ですか。
動員できるかの責務と私だけが頑張ってもダメだということを教わりました」と話した。
「よく若い子にどんどん提案して欲しいなって言っていました。
トレンドを知っているのは若い子なので。
今のはやりが何かとかどんどん教えてって。
私はそういうトップでした」と語った。
(引用元:日刊スポーツ)
真矢ミキさんがトップスターに就任したのは、阪神淡路大震災が起きた半年後のことでした。
舞台から見える2階席は、お客さまが誰もいらっしゃらず、
客席はシートの色で真っ赤でした。
宝塚大劇場の客席数は2550あって、それを見るのは本当につらかった。
それでも下級生(後輩たち)が2階を見上げ、笑顔で歌い踊る姿が、
けなげで仕方ありませんでした。
あの寒々とした光景は、その後、私を突き動かす大きな原動力になりました。
(引用元:産経新聞)
震災後で仕方なかったとはいえ、二階席が全て空席という経験をした真矢ミキさんは、「動員数にはこだわろう」と決意したそうです。
「あの人の舞台だったら、何としても足を運びたい」
と思わせるスターにならなければ、と身震いする思いでした。
(引用元:産経新聞)
そんな真矢ミキさんの他にはない圧倒的なオーラやカリスマ性は、多くのファンを惹きつけました。
『SPEAKEASY』東京公演で宝塚歌劇団を退団:1998年(34歳)
花組トップスターに就任してから約3年半後の1998年10月、真矢ミキさんはサヨナラ公演『SPEAKEASY』をもって宝塚を退団しています。
真矢ミキさん、めちゃくちゃかっこいいし色気がすごいですね!
「自分で決めて。次の子も控えてますし。
私は中卒だったけど、次の子が高卒だったから、4年違うんですけど、年は一緒なんです。
そういう関係もあると思います。自分の中で。
愛華みれさんっていう人がなったんだけど、凄い頑張ってたからもうそろそろと思ったし。
3年半やらせてもらって辞めました」
と決断の理由を語った。
(引用元:スポニチ)
真矢ミキさんは次の世代のことを考えて、トップスターに就任して3年半で宝塚を退団する決意をされたようです。
宝塚歌劇団時代のかっこいい画像
宝塚時代の真矢ミキさんのかっこいい画像がこちらです。
(画像引用:X)
(画像引用:X)
(画像引用:X)
すっぴん姿もしっかりメイクの姿も、どちらもとってもかっこいいですね!
【画像】真矢ミキの若い頃がかっこいい!宝塚時代の伝説エピソード
真矢ミキさんは『ヅカの革命児』と言われ宝塚時代に伝説のエピソードを残しています。
主なエピソードはこちらの4つです。
・男役なのに長髪
・薄いメイク
・男役なのに女性らしい写真集を発売
・宝塚現役で初の武道館ソロコンサートを行う
当時は宝塚のタブーとされていたことにも、果敢に挑戦されていたようです。
それぞれのエピソードについてご紹介します。
男役なのに長髪
宝塚の男役といえば、短髪リーゼントの印象があります。
しかし真矢ミキさんは、男役なのに長髪で舞台に上がり、周囲を驚かせました。
男役なのに長髪にしたことは、
「5人トップがいるから、1人くらいはよくない?」
という心境だったという。
(引用元:Smart FLASH)
当時の真矢ミキさんには、「現実的な男性を演じたい」という思いがあったそうです。
1990年代は、木村拓哉さんや江口洋介さんの影響で、男性の長髪が流行っていた時期でもありました。
そう考えると、長髪の男役がいてもあまり不思議ではありませんよね。
しかし当時は前例がなかったこともあり、真矢ミキさんは振付師の方から怒られながら、自分のスタイルを模索していったようです。
薄いメイク
(画像引用:X)
宝塚の男役の方々は、かなり濃いめのメイクをされている印象ですが、真矢ミキさんはあえて薄めのナチュラルメイクで舞台に立たれていました。
王子様のような宝塚の伝統的な男役とはひと味違って、
現代的な持ち味を生かし、リアルで洗練された男役を追求した
(引用元:産経新聞)
真矢ミキさん自身が、宝塚音楽学校に入学前に男役の厚化粧に違和感を持っていたことから、伝統は守りつつ薄いメイクにすることで、現代の現実的な男性を追求していったようです。
舞台化粧もナチュラルに。
アイシャドーを従来の青ではなく、茶色で陰影を付け、口紅も赤をやめ、自然な男役を追求。
その後、みるみる宝塚の枠を超える人気を集めるようになった
(引用元:産経新聞)
真矢ミキさんのこういった前例のない行動は、最初は『異端児』扱いされていました。
しかし、結果を残して認められるようになると、『革命児』と呼ばれるようになっていきました。
男役なのに女性らしい写真集を発売
(画像引用:Amazon)
1997年、真矢ミキさんは篠山紀信さん撮影のソロ写真集『Guy』を出版しています。
当時の宝塚では、男役の女装はタブーとされていました。
しかしこの写真集には、当時男役のトップスターだった真矢ミキさんの女装姿や、胸の谷間が見えるようなカットも載っていたため、物議を醸しました。
また、宝塚のトップスター個人の写真集発売も、当時は前例のない新たな試みだったそうです。
今では当然とも言える宝塚トップスター個人の写真集発売も、真矢ミキさんが先駆者として道を切り開いてきたんですね。
宝塚現役で初の武道館ソロコンサートを行う
1998年、真矢ミキさんは現役タカラジェンヌとしては初めて、日本武道館でのソロコンサート『MIKI IN BUDOKAN』を行いました。
宝塚には、退団を発表するとバウホールという宝塚大劇場に隣接する小劇場で公演し、ホテルでディナーショーを行う、という慣習があるそうです。
しかし、真矢ミキさんはこの慣習に疑問を抱いていたのだとか。
当時の花組プロデューサーに、
「そのコース、誰が決めたの?
もっと大勢入れる、例えば武道館とか駄目なの?」
って、食ってかかりました。
プロデューサーが本当に武道館を取ってきたことに、真矢ミキさんは驚いて、「本当に取っちゃったんですか!?」と何度も確認してしまったそうです。
日本武道館という1万人規模の会場での3回公演、つまり3万人を集客しなければならないことは、相当なプレッシャーだったのだとか。
それでも、覚悟を決めた真矢ミキさんは、トータルプロデューサーにつんく♂さんを迎えて、武道館でのソロコンサートを行いました。
真矢はオープニングの
「No Turning Back」 「月下の夜想曲」から、
「いいわけ」、「Paradiso」、「The Cup of Life」、「ズルイ女」などを披露。
「食虫花」では妖艶なダンスを見せる。
「すみれの花咲く頃」のロックバージョン「すみれの花咲く’98.7」では
客席も巻き込んで大盛り上がり。
人気キャラ、アキラで「学園天国」の替え歌を歌い、
「The Gift of Love」で締め括った。
アンコールは「プライド未満」、つんく作詞・作曲による「ありがとう」を、
精力的に、そして魅力たっぷりに歌い、踊った。
(引用元:タカラヅカ スカイ ステージ)
コンサートは、普段宝塚に馴染みのない方も押し寄せるほどの大盛況となり、社会的なニュースにもなりました。
【画像】真矢ミキの若い頃がかっこいい!宝塚退団から現在
(画像引用:産経ニュース)
宝塚“初”を数多く成し遂げ、ヅカの革命児とまで呼ばれていた真矢ミキさんは、34歳で宝塚を退団後、5ヶ月間の充電期間を経て、鳴り物入りで芸能界入りを果たしました。
そんな真矢ミキさんの、宝塚退団後から現在までについてご紹介します。
宝塚退団後芸能界入りするもうつ病|事務所から戦力外通告
宝塚を退団した真矢ミキさんは、大手芸能事務所の田辺エージェンシーに所属して芸校活動を開始しました。
当時の真矢ミキさんは「これまで宝塚で散々舞台をやってきたから、これからは舞台ではなく映像のお仕事がしたい」と考え、映画やドラマに活躍の場を求めたそうです。
しかし、仕事の依頼は100%舞台だったのだとか。
それでも、映像のお仕事にこだわった真矢ミキさんは、舞台の仕事のオファーを断り続けたそうです。
映像の仕事のオファーは入って来ず、舞台のお仕事を断り続けるという生活は、真矢みきさんのメンタルをどんどん弱らせていきました。
あとで気が付きましたけれど、私は宝塚退団後の燃え尽き症候群から、
うまく芸能界で居場所を見つけられず、鬱状態になっていたと思います。
宝塚時代、あれだけ多くのファンの方に愛していただいたのに、
誰からも必要とされなくなって、その落差に苦しんでいました。
(引用元:産経新聞)
そんな状態で、ほとんどお仕事を受けていなかった真矢ミキさんは、ついに事務所から戦力外通告をされてしまいました。
事務所をクビになり無収入となったことで、崖っぷちに立たされた真矢ミキさんは、車を売って引っ越しをするなど、生活水準を下げつつ、新たな事務所を自力で探し始めたそうです。
芸能界へのコネはない。
飛び込み営業のように、いきなり意中の事務所に電話をかけた
(引用元:産経新聞)
こうして新たに所属した事務所での初仕事が、真矢ミキさんの運命を大きく変えていくことになります。
映画「踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」でブレイク:2003年(39歳)
(画像引用:産経ニュース)
新しい事務所の社長が真矢ミキさんに最初に打診した仕事は、映画のオーディションでした。
社長は、「宝塚のトップスターだったあなたが、一からオーディションなんて嫌よね」
と気遣ってくださいました。
それは映画「踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」のオーディションでした。
私はもともと、このシリーズを見ていたこともあって、絶対に受けたい、と思った。
(引用元:産経新聞)
真矢ミキさんが演じた沖田管理官の「事件は現場で起きているんじゃない、会議室で起きているのよ!」というセリフは、印象に残っている方も多いのではないでしょうか。
『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』はこの年の国内劇場公開映画の興行収入第1位を記録する大ヒットを記録し、真矢ミキさんの知名度も一気に上がっていきました。
バレエダンサーの西島千博と結婚:2008年(44歳)
2008年7月1日、真矢ミキさんはブログで、8歳年下のバレエダンサー・西島千博(にしじま かずひろ)さんと結婚することを発表し、同年12月22日に入籍されました。
そして2009年4月4日に満開の桜が咲く中、明治神宮で挙式が執り行われました。
(画像引用:産経ニュース)
真矢ミキさん、とっても綺麗ですね!
真矢ミキさんと西島千博さんの出会いは、2002年の舞台「スターダスト in 上海」で共演したことでした。
その後も、共通の友人だった女優の岡江久美子さんとの会合で一緒になる機会が多くあり、岡江久美子さんからは「あなたたち、結婚しちゃえばいいのに」と言われ続けていたのだとか。
岡江久美子さんから見てもお似合いの二人だったのかもしれませんね!
さまざまなタイミングやお互いの状況がうまく合っていたんでしょうね。
なので私も自然な流れに身を任せ、即、結婚に至ったのだと思います。
(引用元:産経新聞)
結婚後もお互い仕事が忙しい分、意識して二人の時間を作るようにしているそうで、結婚から10年以上経った今でも夫婦仲は良好のようです。
真矢ミキと西島千博に子供はいない
(画像引用:東スポweb)
真矢ミキさんと西島千博さんには、お子さんはいません。
結婚当時、真矢ミキさんはすでに44歳でしたし、仕事を大切にされていました。
さらに、近くに住んでいた真矢ミキさんの母・雪子さんの介護もあったようで、結婚当初からどうしても子供が欲しいとは考えていらっしゃらなかったのではないかと思います。
高等学校卒業程度認定試験合格:2017年(54歳)
(画像引用:日経ウーマン)
真矢ミキさんは中学を卒業後すぐに宝塚音楽学校に入学しています。
現在の宝塚音楽学校は、単位制の向陽台高校と連携をしているため、高卒の資格を取得することが可能です。
しかし真矢ミキさんの在籍時にはそのようなシステムはなく、真矢ミキさんの最終学歴は中卒となっていました。
そこで、真矢ミキさんは高等学校卒業程度認定試験を受けることにしたようです。
「コンプレックスと思っていないが、
高校・大学に行けなかったという人生の大きな穴が開いていた。
それを背負って生きていくのかなという思いがあった」
と打ち明けた。
そして「今からでも(穴を)埋められる」と受験を決意したという。
(画像引用:東スポweb)
ご両親からも、「夜間でも通信でもいいから学校に行きなさい」と言われていたのだとか。
当時、真矢ミキさんは朝の情報番組『ビビット』で司会を務められており、有識者の方々の意見を聞いた時に、せめて足元に及べるようになりたいという思いもあって、受験を決意されたようです。
当時は月曜から金曜の午前中は、情報番組の司会。
午後はドラマの撮影が入る日もあり、寸暇を惜しんで勉強した
(引用元:産経新聞)
50代で新たな知識を詰め込むのは、とても大変だったそうですが、番組で扱っているニュースと知識が繋がるようになると、勉強が楽しくなっていったそうです。
高等学校卒業程度認定試験は8教科合格しないと大学受験資格を得ることができないのですが、真矢ミキさんは2017年に5教科、翌2018年に残りの3教科に合格しています。
真矢ミキさんは、今でも大学の講義の動画をよく見ているそうで、もしかすると将来大学受験に挑戦されることもあるのかもしれませんね!
大河ドラマ 『どうする家康 』 巴役で出演:2023年現在(59歳)
(画像引用:billboard JAPAN)
真矢ミキさんは、2023年の大河ドラマ『どうする家康』で有村架純さん演じる瀬名の母・巴(ともえ)を演じました。
巴は育ちが良く、所作を厳しく叩き込まれて育っている女性という設定だったため、撮影中は何度も所作指導の先生に確認を取りながら演じていたのだとか。
実は真矢ミキさん、いまだに油断すると宝塚の男役での所作や、音楽学校で習っていた日本舞踊の所作が出てきてしまうそうで、巴を演じるのはとても大変だったようです。
真矢ミキさんが演じた巴は、少し思慮深さに欠けるところがありながらも、強くて優しい素敵な母だったと思います。
【画像】真矢ミキのプロフィール
(画像引用:オリコンニュース)
名前:真矢 ミキ(まや みき)
本名:西島 美季(にしじま みき)【旧姓:佐藤】
生年月日:1964年1月31日
年齢:59歳(2023年12月現在)
出生地:広島県広島市
血液型:O型
身長:166cm
所属事務所:オスカープロモーション
真矢ミキさんの実家は転勤族で、真矢ミキさんは4歳まで広島で過ごしましたが、その後は中学を卒業するまでに8回もの引っ越しを経験されたのだそうです。
まとめ
真矢ミキさんについてまとめました。
ヅカの革命児と呼ばれ、新しい時代を切り開いてきた真矢ミキさん、とってもかっこ良かったですね!
宝塚の男役トップスターという華麗な経歴を持ちながらも、事務所をクビになったり、いろいろな苦労をされていたのが意外でした。
これからもそんな真矢ミキさんの活躍に期待したいと思います。
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