アンミカさんといえば、バラエティ番組やCMなどで大活躍のタレントさんです。
実はアンミカさん、元パリコレモデルで世界的に活躍されていたすごい方なんです。
現在のアンミカさんはいつも笑顔でポジティブな印象ですが、若い頃は相当苦労されてきたようです。
しかも昔は引っ込み思案な子供だったとか。
ちょっと信じられませんね。
では、どのようにして現在のようなポジティブで明るいアンミカさんのキャラクターが出来上がったのでしょうか。
今回は、アンミカさんの若い頃について、幼少期から現在に至るまでを時系列でご紹介します。
【画像】アンミカの若い頃(昔)|幼少期から高校卒業まで
アンミカさんのご両親は韓国人で、アンミカさんは韓国の済州島で生まれました。
キリスト教徒だった両親が教会の手伝いをすることになり、アンミカさんが4歳の時に家族で大阪に移住をされています。
しかし、ご両親は日本語があまり得意ではなく、なかなか仕事がうまくいかなかったために一家は相当な貧乏生活を送っていたそうです。
アンミカさんの幼少期から高校卒業までを詳しくご紹介していきます。
幼少期は極貧生活
今でこそセレブのイメージがあるアンミカさんですが、幼少期は極貧生活を送っていたそうです。
アンミカは幼少期を「4畳半の他人のお家の2階で7人で暮らしてて」と極貧生活を送っていたことを明かした。
お金がなかったため「鼻の骨を折った時も、病院ってめっちゃ高いじゃないですか」と、病院で治療ができなかった。
(引用元:スポニチ)
骨折しても病院にすら行けないほどの極貧生活だったんですね。
アンミカさんはその他にも、幼少期のいろいろな貧乏エピソードを明かされています。
・学校の給食費が払えなかった
・家族で夜中に市場へ行き、廃棄される果物をもらって食べていた
・家のすきま風がひどい上布団も薄く、寒すぎて眠れなかった
・拾ってきた新聞紙を防寒具として使っていた
・寒い時は外で焚火をしていた
・毛糸を何度も再利用し、服を自分で作っていた
かなり壮絶ですね…。
(画像引用:スポーツ報知)
そんな貧しい長屋生活をしていた幼少期のアンミカさんは、背の低いぽっちゃり体型で引っ込み思案な性格をしていたそうです。
私は、今でこそポジティブさと明るい笑顔をトレードマークにしていますが、幼少期はコンプレックスだらけで、上手に笑うことすらできない子どもでした。
そのためか当時の記憶はほとんどなく、ただ「恥ずかしかった」という感情だけが今も残っています。
(引用元:FRaU)
今のアンミカさんからは想像できませんよね。
しかし、当時美容関係の仕事をしていた母の影響で、少しずつ自分に自信をつけていったそうです。
「ミカちゃん、大人になったら目鼻立ちがきれいな人じゃなく、一緒にいて心地良い人のことを美人と言うのよ。
美人になるための魔法があるから、ママと一緒に実践しましょう!」
(引用元:FRaU)
母が立ち振る舞いや話し方などを教えてくれたことで、アンミカさんは成長と共に明るい性格に変わっていったのだそうです。
小学校時代から大人っぽかった
アンミカさんはインスタグラムで小学生時代の写真を公開されており、その写真が「大人っぽい」「小学生に見えない」と話題になりました。
(画像引用:スポーツ報知)
この写真はアンミカさんが小学6年生の頃の写真だそうです。
確かに大人っぽいですし、すでに顔が完成しています。
小学生時代から綺麗な子だったんですね。
極貧生活だったため制服もお下がりで、袖の長さが足りていなかったそうです。
中学校時代のあだ名はカールルイ子
(画像引用:テレ東プラス)
アンミカさんは中学時代、陸上部に所属していました。
当時、色黒で足が速かったため、アンミカさんのあだ名は『カールルイ子』だったのだとか。
ネーミングセンスはともかく、めちゃくちゃ足が速かったんでしょうね。
そんなアンミカさんの中学時代は、両親の経営していたラーメン屋が火事になって家も住めなくなってしまったり、母が病に倒れてしまったりと苦労続きだったようです。
さらに、父が居酒屋を開業するものの失敗したため、アンミカさんは中学時代から新聞配達のバイトをして家計を助けていたそうです。
母の病気は癌だったそうで、いくつもの仕事を掛け持ちして働いていた無理がたたったのかなかなか良くならず、寝たきりのような状態だったのだとか。
そんな母に「ミカちゃんは手足が長いからモデルになったらいいかも」と言われたことがきっかけで、アンミカさんはモデルを志すようになりました。
母が生きているうちにモデルになった姿を見せたいと思っていたそうですが、残念ながらアンミカさんが中学3年生の時に母は亡くなり、モデルとなった姿を見せることは出来ませんでした。
高校時代がかわいすぎる
アンミカさんが公開した高校時代の写真がこちらです。
(画像引用:WEBザテレビジョン)
めちゃくちゃ可愛いですね。
しかもなんと、この時着ている服は自作だったようです。
アンミカは
「私服の高校に通っていた頃、DCブランド全盛期で大変だったので作った服です。
DCブランドは配達っ子の私には買えずで、親戚が鞄職人でミシンが沢山職場にあったので、よくミシンを借りて服を作ってました」
とコメントし、サラサラのロングヘアの美少女だった高校生時代の写真を披露した。
さらに、「この服は(真ん中)フレアースカートをギャザーを寄せて作り、首元がヨレヨレになったロンTを肩まで下げて、スカートの余り布を上から巻いて、今流行りの“オフショルダー”にしたものです!32年前のオフショルダー」
「体育倉庫の前で…懐かしいなぁ」と振り返った。
(引用元:モデルプレス)
DCブランドとは、日本のアパレルメーカーによる高級ファッションブランドの総称で、1980年代には社会的なブームとなっていました。
高くて買えない金額の洋服が流行っていたから自分で作っていた、とはすごいですね。
ちなみに、アンミカさんが通っていたのは偏差値65の進学校である大阪府立住吉高校でした。
モデルになる夢を諦めてはいなかったアンミカさんですが、高校でも陸上部に所属して800mの選手として活躍していたそうです。
しかし、怪我をしてしまったことで陸上を続けることが出来なくなってしまいます。
陸上をやめたことで、モデル1本に絞って活動しようと決意したアンミカさんは、所属していた大手モデル事務所でレッスンに励みました。
私がなぜ大手のモデル事務所に入れたかというと、
「どうしても入りたいんです!」
としつこく事務所通いをしていた私の根性と愛嬌を、その事務所の社長が買ってくれたから(笑)。
ただし「高校を卒業したら事務所を辞めて、モデルをしていたというプロフィールを手土産に、普通の社会人になりなさい」という、条件付きでの所属でした。
(引用元:FRaU)
写真を見るとスラっとしてめちゃくちゃかわいいアンミカさんですが、この頃は今より11cm背が低い上に10kg体重が重いがっしり体型だったそうです。
結局、モデルとしては鳴かず飛ばずのまま、約束通り高校卒業と同時にこの事務所を辞めています。
それでも、アンミカさんがモデルになる夢を諦めることはありませんでした。
【画像】アンミカの若い頃(昔)|高校卒業後から現在まで
アンミカさんは高校を卒業後、家計の金銭的な事情も考えて大学へは進学されていません。
大阪府立住吉高校はかなり偏差値の高い進学校だったこともあり、父はアンミカさんに大学進学を進めたそうですが、アンミカさんはモデルになるという夢のために活動する道を選びました。
そんなアンミカさんの高校卒業後から現在までをご紹介します。
高校卒業後単身パリへ
(画像引用:テレ東プラス)
アンミカさんは高校を卒業後、単身パリへ渡っています。
しかし父はモデル業には猛反対だったそうです。
父は私に3つの約束をさせました。
1つめは「たまに仕事をして大金を持って帰ってくると、弟や妹の金銭感覚がおかしくなってしまう。なのでモデルになるなら実家を出ること。そして一流モデルになるまで帰ってこないこと」。
2つめは「常に新聞を読んで、社会の情勢をしっかり理解しておくこと」。
3つめは「いざという時に自分の助けになる資格を取ること」。
(引用元:FRaU)
実家を出てアルバイト生活を送っていたアンミカさんですが、半年以上の間モデルのオーディションに落ち続けたそうです。
このままではダメだと思ったアンミカさんは、「そうだ!パリへ行こう!」と思い立ち、なけなしのお金5万円を手に単身パリへ渡りました。
すごい行動力ですね!
そしてパリに着くと、片っ端からパリのモデル事務所に連絡したそうです。
しかし、20社に連絡してアポイントを取れたのは3社のみ。
門前払いがほとんどの中、3社だけが面接してくれた。
そこで彼女は厳しい言葉で断られてしまう。
「あなたが着ている服は、自分を良く見せていない」。
つまり自分のマネキンとしての体型を理解して、洋服をより良く見せて、着ている本人もカッコ良く見えるのがモデル。
そんなセンスを持ち合わせていないモデルは要らない―というのが、断られた理由
(引用元:exciteニュース)
アンミカさんは日本に帰国して、アルバイトをしながらファションの猛勉強を始めたそうです。
そんな時友人から、京都のファッションショーを観に行かないかと誘いを受けます。
しかし素人モデルのショーだと聞き、交通費ももったいないと思って一度は断ろうとしていました。
断ろうと思いながら家に戻ると、実家を出てから初めて父親からの手紙が届いた。
「『チャンスは後ろからも来るんだ』と書いてありました。
曰く、チャンスが前からやってくるなら人間はサボる。
先に努力しておけ。
その上で、いろんなところに足を運んで、突然のチャンスも掴むんだということが書いてあって……。
まるで今の私の状況を言い当てられているようで、ハッとしました。
『今日のショーに行かなきゃ』という思いが湧き上がってきて、急遽参加することにしたんです」
(引用元:dmenuニュース)
そしてこのショーに顔を出したことで、アンミカさんの運命が変わります。
ドイツ人カメラマンのノーバート・ショーナーに声をかけられた。
翌日、彼の撮影に参加し、そこで当時大きな注目を集め始めていたビューティービーストのデザイナー山下隆生氏と出会う。
(引用元:dmenuニュース)
その後アンミカさんは、毎回のようにビューティービーストのブランドモデルを務めるようになります。
そしてその写真は、ドイツ版の『ELLE』や世界的なファッション雑誌『i-D』の誌面に載るほどまでになっていきました。
ビューティービーストは1990年代に一大ブームとなったブランドで、ブランドのミューズだったアンミカさんの知名度もどんどん上がっていきました。
パリコレ初参加:1993年(20歳)
(画像引用:神戸新聞)
アンミカさんがパリコレに初めて参加したのは、20歳の時のことです。
日本国内だけでなく、海外でも人気に火がついたビューティービーストがパリコレに参加することになり、ブランドのミューズだったアンミカさんもついにパリコレに出演することになりました。
そしてこのパリコレへの初出演を機に、アンミカさんは以前オーディションで落とされたパリのモデル事務所に再度売り込みをし、所属に至っています。
そしてその後も、さまざまなブランドのモデルとしてショーに出演されました。
なんと、世界的ヘアケアブランドであるヴィダルサスーンのCMモデルも務めていらっしゃいました。
(画像引用:アメブロ)
画像の右側の男性がヴィダルサスーンさんです。
アンミカさんはこの時、人生初のボブヘアにされたそうですが、ツヤツヤの黒髪ボブがめちゃくちゃ似合っていますね!
アバンギャルドモデル時代がヤバい
(画像引用:中日新聞)
20歳くらいの頃のアンミカさんは、アバンギャルドモデルとして活躍していました。
アンミカさん自身もこの頃について「尖っていたなぁ」と振り返っています。
今とは全く雰囲気が違いますね。
20歳とは思えない大人っぽさです。
前髪なしのロングヘアのイメージが強いアンミカさんですが、アバンギャルドモデル時代には前髪を作っていた時期もあったようです。
前髪ありも似合っています。
どの写真もかっこよくてヤバいですね!
韓国・延世大学校韓国語学堂に留学:2002年(29歳)~2003年(30歳)
アンミカさんは29歳の時、両親の祖国である韓国の延世大学校に1年間の語学留学をしています。
29歳になって留学を決意したのは父の死だったという。
「29歳で父が亡くなって、両親のお墓を作りに済州島に家族全員で戻った時に、語学が通じないことで、両親のルーツを正しく知ろうと思って行ったのに、中途半端に(ルーツも)わからないまま(日本に)帰ってきて」と回顧。
「両親の親戚が生きている間に、韓国語で、両親の歴史とか私たちの血筋とかいろんなこと、ちゃんと聞きたいなと思って、生きている間にしゃべれたらって思っているうちに、甘えて勉強してこなかった」と反省した。
(引用元:毎日新聞)
アンミカさんは両親が韓国人だったこともあり、元々少しは韓国語が話せたようですが、読み書きや敬語の使い方は全く分からなかったそうです。
両親の親戚が生きている間に自分のルーツを知りたい、という思いで韓国語を学びに行かれたんですね。
やっぱりすごい行動力です。
延世大学校では一回り年下の同級生と恋バナをしたり、毎日が刺激的だったそうで、元々は3ヶ月間の予定だった留学期間を1年3ヶ月に延長して韓国語をマスターされたのだそうです。
セオドール・ミラーと結婚:2012年(40歳)
(画像引用:スポーツブル)
アンミカさんは2012年7月、40歳の時にアメリカ人の実業家セオドール・ミラーさんと結婚しています。
お二人の豪華な結婚式は、2013年3月24日にパレスホテル東京で行われました。
アンミカさんとセオドール・ミラーさんは、アンミカさんが出演していた『魔女たちの22時』と言うバラエティ番組がきっかけで出会ったそうです。
この番組のシークレットゲストとしてパリス・ヒルトンさんを呼ぶことになった際、来日について任されていたのがセオドール・ミラーさんの経営している会社でした。
しかし、来日直前でパリス・ヒルトンさんが入国出来なくなってしまい、シークレットゲストの出演は無くなってしまいます。
そのお詫びも兼ねて、セオドール・ミラーさんがが主催したゴルフコンペで、2人は運命の出会いを果たしたそうです。
ゴルフコンペで意気投合したお二人は、1年半の交際を経て結婚されたのですが、アンミカさんはずっと、40歳までに結婚したいと言っていたそうです。
「39歳の3月25日の夜9時に40歳になるって時で、
『40歳になるまでに結婚したい』って言ってるのにプロポーズがなくて焦ってて」
という状態で婚約前だった旦那さんと誕生日のディナーにでかけたのだという。
(引用元:モデルプレス)
実はセオドール・ミラーさんは、アンミカさんがプロポーズされるのを待っているのを知っていて、ちょっと意地悪をされたようです。
「プロポーズくるな」と言う確信をもっていたというが、
夜8時55分、40歳直前になってもプロポーズがなく
「どうしようと思ったら旦那さんから
『君が欲しがっているものを僕は知ってるんだけど、実はあげられないんだ』って…」
とまさかの一言が。
(引用元:モデルプレス)
この言葉をアンミカさんは「君とは結婚できない」という意味だと思い、振られたと勘違いしてその場で大泣きしてしまったそうです。
確かに、40歳までに結婚したいと思って付き合っていた相手に40歳の誕生日前日に振られたら相当なショックだと思います。
しかし実は、まだプロポーズをしていないにも関わらず、「結婚すると思います」と番組で発言していたアンミカさんに、セオドール・ミラーさんが少し怒っていただけだったようで…。
「俺がプロポーズを決める前に、勝手に人に結婚するって言ってる」とディナーの際には怒り気味だったのだという。
実は「指輪じゃなくてダイヤ」が入っている箱をアンミカに見せ、
「あげられない」のは指輪そのものが今ない、という意味だったと説明をしてくれたのだそう。
結局のところプロポーズではあったため、
「ほんと、ギリギリ数十秒前で…。喜びの涙で感情がこんな(アップダウン)ですよ」
というアンミカ。
指輪ではなくてダイヤだった理由も、アンミカがジュエリーデザインもしているため
「君が好きな指輪にしてほしい」というロマンチックな理由だったことも明かされた。
(引用元:モデルプレス)
これは、忘れられないプロポーズですね。
アンミカさんとセオドール・ミラーさんは、2023年で結婚から11年が経っていますが今でもラブラブなおしどり夫婦として知られています。
毎年結婚記念日には、プロポーズされた思い出の鉄板焼きレストランで食事をされているそうです。
「毎年ここで
『ここで泣いたね』
『泣いた顔がブサイクだったよ。でもかわいかったよ』
って言ってくれる」
(引用元:モデルプレス)
本当にラブラブですね!
アンミカさんは、人生の運の9割を結婚に使ったと思うほど、夫のセオドール・ミラーさんとの出会いに感謝しているそうです。
42歳から46歳まで不妊治療で子供を授からず:2014年~2018年
アンミカさんが40歳までに結婚したいと思っていたのは、子供が欲しいという思いがあったことも理由の1つだったようです。
しかし40歳で結婚後なかなか子供を授からず、42歳の頃から不妊治療を開始し、43歳の1年間は勉強しながら自分の体を労わる生活を送ったそうです。
「漢方養生指導士の勉強をして、自分の体質を知り、体力づくりから見直し、季節に応じた食養生や漢方、鍼、灸などを始めたら、なんとAMHやFSHの数値にいい変化が出だしたんですよ」
(引用元:週刊女性プライム)
そして、44歳から再び顕微授精に挑戦したアンミカさんとセオドール・ミラーさんご夫婦でしたが、やっとの思いで出来た受精卵を流産してしまうことが続きました。
夫のセオドール・ミラーさんは、アンミカさんが流産した時も励ましたりすることなく、黙って一緒に泣いてくれたそうです。
「そういうことが何回か続いて、自分の身体は“不育症”(※2回以上流産、死産を繰り返し、子どもを持てない人のことを広く不育症という)であると理解しました。
46歳で数値が悪化していき、生理がピタッと止まって、夫と話し合った結果、不妊治療からは卒業しました」
(引用元:週刊女性プライム)
4年間の不妊治療は精神的にも相当辛かったと思います。
不妊治療を卒業したことで、アンミカさんは「解放された」と感じたそうです。
「妊娠が不可能になったとき、
“ごめんね、子どもを産んであげられなくて”と伝えたら、
彼がすごく怒って、
“結婚したときに僕が言ったこと覚えてる? その気持ちは変わらないよ”って。
“子どもがいたら楽しい人生かもしれない。
でも君とふたりで過ごす人生も楽しい。
右も幸せ左も幸せ。
誰かと比べることなく、まず自分が幸せであることが大切だよ”って」
(引用元:週刊女性プライム)
いい旦那さんですね!
辛い不妊治療だったと思いますが、この治療があったおかげで二人の絆は深まったそうです。
パリコレ学(林先生の初耳学)で講師:2019年(47歳)
アンミカさんは2019年、『林先生の初耳学』の企画「アンミカ先生が教えるパリコレ学」で講師を務めました。
「パリコレ学」は、元パリコレモデルのアンミカさんが有能な講師陣と共に、学院生8人を指導し、1人だけがパリコレへの挑戦権を得る内容。
(画像引用:毎日キレイ)
アンミカさんはこの企画を聞いた時、「自分よりも冨永愛さんのような現役で活躍されているモデルの方がいいのでは?」と思ったそうです。
それでも、少しでも後進の力になれるならと講師を引き受けました。
この「アンミカ先生が教えるパリコレ学」は人気企画だったため第二弾も放送され、合格者となった小野寺南友さんや平田かのんさんは実際にパリコレデビューを果たしています。
この企画に出ていた他のモデルの皆さんも、その後モデルとして活躍されており、2期連続で出演した門田玲さんは自力でパリコレに挑戦し、パリコレデビューを果たしています。
アンミカさんにとって出演者のモデルは娘のような存在だったようで、時には厳しく、時には母のような気持ちでファッションやモデルの仕事の大切さを伝えていたそうです。
アンミカの2023年現在:(51歳)
(画像引用:Lマガ)
アンミカさんは2023年現在も、モデル、タレントとして活躍されています。
『通販の女王』としても知られており、1日に5億円を動かすとも言われています。
2023年10月にリニューアルされたMBSのサタデープラスでは、スタジオパネラーからMCに昇格し、冠ロケ企画も担当するようになりました。
(画像引用:Amazon)
ポジティブキャラを生かした書籍も多く出版されており、『アンミカのポジティブ手帳』は3年連続で出版されています。
アンミカさんはこれからもポジティブキャラで視聴者を元気付けてくれそうですね!
【画像】アンミカの若い頃(昔)|スパイと交際し1000万円騙し取られる?
アンミカさんは若い頃、色々なタイプの男性と交際されていたようです。
なんとその中の一人がスパイだったことをバラエティ番組などで明かされています。
2022年11月に出演された『人生最高レストラン』でも、スパイの彼について話されていました。
このスパイの彼とは、34〜36歳までの2年間交際していたそうです。
スパイの彼は、自称貿易関係の仕事をしているアジア人で7ヶ国語を話せたため、アンミカさんとは韓国語と片言の日本語でやりとりをしていたのだとか。
なぜスパイだと分かったのかと聞かれると
「実はめちゃくちゃ『セドナ(アメリカの地名)へ婚前旅行に行こう』と言われたんですよ。
けど(セドナが)風水で悪方位だったんですよ、命を落とすっていう悪方位で。
来年行こうと言ってもずっと誘われてたんです。
それが私(が彼を)疑いだしたときだったんです。
後から言われたのが、セドナに行ってたら例えば高いところから落とされて自分も彼自身も死んだことにして、
彼はピンピンの体のまま別の活動をするっていうこともあったから、
行かない方がよかったねって」と回答。
(引用元:モデルプレス)
もしこの時アンミカさんがセドナに行っていたら、どうなっていたんでしょうか…。
しかも交際中アンミカさんは、結婚願望に漬け込まれて1000万円を騙し取られたのだとか。
1000万円騙し取られて暗殺されるなんて、ドラマや映画のようですが、事実だとしたら怖過ぎます…。
最終的に彼がスパイだという認定はどこだったのかと聞かれたアンミカは、テレビで言っていいか迷った結果、真相をスタジオのみで告白。
一同が大きく驚く表情が映し出された。
(引用元:モデルプレス)
元交際相手がスパイだったと認定された真相、めちゃくちゃ気になりますね。
【画像】アンミカのプロフィールと家族構成
(画像引用:アメブロ)
アンミカさんの実家の家族構成がこちらです。
父:お名前・年齢不明
母:お名前・年齢不明
長男(兄):お名前不明・53歳
長女(姉):お名前不明・52歳
次女:アンミカ・51歳
三女(妹):安清美(あん きよみ)・49歳
次男(弟):お名前・年齢不明
(2023年10月現在)
アンミカのプロフィール
(画像引用:テンカラット)
名前:アンミカ
本名:安美佳(あん みか)
生年月日:1972年3月25日
年齢:51歳(2023年10月現在)
出身地:韓国済州島
国籍:韓国
血液型:O型
身長:171cm
アンミカさんは韓国の済州島で生まれ、4歳の時に家族で日本に渡ってきています。
日本に来てからは大阪で育っており、38歳で本格的に上京するまでは大阪に住んでいました。
アンミカの家族構成
(画像引用:スポーツ報知)
アンミカさんは5人兄弟の真ん中で、兄、姉、妹、弟がいらっしゃいます。
ご両親は亡くなられていますが、兄弟5人はとても仲が良いようです。
面白いことに、血液型が違うためか、性格も、選んだ職業も、見事にバラバラ。
兄は昔から正義感が強く、行政書士と社会保険労務士をしていますし、
姉は歯科衛生士で、しっとり品のある女性。
料理上手なうえに、音楽の才能にも恵まれ、趣味でサルサを踊っています。
妹は賢くてなんでも覚えるのが早く、今はエステサロンを運営中。
弟は他人の身体を診る職に従事しています。
(引用元:婦人公論)
兄弟それぞれ、資格が必要な仕事に就かれてバリバリ働いているようですね!
妹の安清美さんは北海道と東京でサロンを2店舗経営されているのだとか。
弟さんは鍼灸師で柔道整復師なのだそうです。
現在は姉と弟が大阪の実家でふたり暮らし。
兄は自分の家族と一緒に大阪で暮らしています。
妹は東京と北海道を行き来していて、私の拠点は東京。
そんなふうに普段は離れて暮らす私たちですが、両親の命日や法事で実家に集まったり、年末年始に私と夫がハワイで過ごす時に一緒に来たりと、年に6、7回は必ず会っています。
(引用元:婦人公論)
アンミカさんは兄嫁ともとても仲が良いそうです。
かなり仲良しな兄弟ですね!
まとめ
アンミカさんの幼少期から現在までを時系列でまとめました。
セレブなイメージのあるアンミカさんですが、子供の頃は相当苦労されたようですね。
パリコレモデルになるためにかなり努力されていたのも印象的でした。
これからも、明るくポジティブなアンミカさんに活躍し続けて欲しいと思います!
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