バラエティ番組で活躍されている長嶋一茂(ながしま かずしげ)さん。
ちょっと天然で、明るくて面白い方ですよね。
そんな長嶋一茂(ながしま かずしげ)さんの父が、『ミスタープロ野球』こと長嶋茂雄(ながしま しげお)さんであることはご存知の方も多いと思います。
長嶋一茂さんは4人兄弟で、妹が2人と弟が1人いらっしゃる長嶋家の長男です。
今回は、長嶋一茂さんの3人の兄弟とご実家の家族構成をまとめてご紹介します。
長嶋一茂さんの嫁や子供についてはこちらの関連記事をお読み下さい。
【画像】長嶋一茂の嫁・仁子との馴れ初めから現在!再婚・別居説の真相!
長嶋一茂の兄弟は3人!妹が2人で弟が1人!『実家の家族構成』
長嶋一茂さんの実家の家族構成は父・母・長嶋一茂・妹2人・弟1人の6人家族です。
父:長嶋茂雄・年齢87歳
母:長嶋亜希子・享年64歳
長男:長嶋一茂・年齢57歳
長女(長妹):長嶋有希・年齢55〜56歳
次女(次妹):長嶋三奈・年齢54歳
次男(弟):長島正興(まさおき)・年齢52歳
※2023年4月現在
長嶋一茂の兄弟|長女(長妹)は長嶋有希はどんな人
長嶋一茂さんのすぐ下の妹が、長嶋家の長女・有希さんです。
上の写真で抱っこされている赤ちゃんが、おそらく有希さんだと思われます。
有希さんは写真なども出回っておらず、長嶋家で唯一一般の方として過ごされています。
しかし写真や情報がないことで、色々な噂をされてしまっています。
その噂というのが、こちらです。
・うつ病
・ひきこもり
・重度の精神障害
・薬物中毒
不動産だけで約30億円あると言われる長嶋家の資産は、その大半を次女・三奈さんが社長を務める資産管理会社『オフィスエヌ』が所有しています。
この会社には、これまで役員として長女・有希さんが名を連ねていたのですが、昨年10月、この有希さんが突然『解任』されたのです。
三奈さん側についていたはずの有希さんが解任されたというのは、今度は姉と妹の間で、何らかの決定的な亀裂が生じたということ。
長嶋家はもう空中分解ですね(長嶋家の内情に詳しい関係者)引用元:週刊現代
少なくとも長女・有希さんは2010年10月に解雇されるまではオフィスエヌの役員を務めていたということになりますし、重度の障害や薬物中毒だとは考えにくいのではないでしょうか。
デマだとすると、失礼過ぎますよね。
また、海外に逃げるほど長嶋家が嫌いならオフィスエヌの役員を務めることもなかったでしょうから、今も日本に住んでいらっしゃる可能性が高いと思います。
長嶋一茂の兄弟|次女(次妹)は長島三奈はスポーツキャスター
(画像引用:Sportiva)
長嶋家の次女・三奈さんは、元テレビ朝日のスポーツ記者です。
2014年からはフリーのスポーツキャスターとして活動しています。
2000年を除く1998年から2013年の15年間、テレビ朝日の『熱闘甲子園』でメインキャスターを務めていらっしゃったので、顔をご存知の方も多いのではないでしょうか。
(画像引用:スポニチ)
2017年には第99回全国高等学校野球選手権大会の開幕試合で始球式も務められています。
これは、長年甲子園を取材してきた功績が認められて実現したもので、甲子園での女性による始球式は24年ぶりだったそうです。
長島三奈のプロフィール
(画像引用:facebook)
名前:長島三奈(ながしま みな)
本名:長嶋三奈(ながしま みな)
生年月日:1968年6月3日
年齢:54歳(2023年4月現在)
出身地:東京都大田区田園調布
血液型:O型
長嶋家の戸籍は、現在は『長嶋』表記になっているようですが、『長島』表記だった時期もあったそうで、三奈さんは公の場では『長島』を使われています。
長嶋三奈の経歴
(画像引用:デイリースポーツ)
長嶋三奈さんは、田園調布雙葉小学校、田園調布雙葉中学校・高等学校を卒業後、日本大学文理学部哲学科に進学されました。
日本大学を卒業後、1991年にテレビ朝日に入社されています。
テレビ朝日ではスポーツ局で記者として活動し、『ニュースステーション』のスポーツコーナーや『長島三奈の熱闘!スポーツM18』でキャスターを務められました。
2000年3月に一旦退社していますが、2001年2月に契約社員としてテレビ朝日に復帰しています。
2000年に一旦退社した理由は明らかにされていませんが、2001年に復帰していらっしゃることから、何かしらの自己都合での退社だったと思われます。
その後、2013年まで『熱闘甲子園』のメインキャスターを務めていましたが、2014年1月31日付でテレビ朝日との契約を終了し、現在はフリーのスポーツキャスターとして活動されています。
(画像引用:Twitter)
2018年と2019年には1日だけ、ゲスト出演という形で熱闘甲子園に復活されました。
2018年に出演した際には、2023年のWBCで監督を務められた栗山英樹さんとのコンビで復活し話題になりました。
長嶋一茂の兄弟|次男(弟)は長島正興でレーシングドライバー
長嶋一茂さんの弟の長島正興(ながしま まさおき)さんは、元・レーシングドライバーです。
2008年頃からは環境問題にも取り組み、環境管理士の資格を取得して環境問題研究者として活動されているようです。
レーシングドライバーだった経歴を活かして、エコドライブスクールの講習会で司会をしたり、環境と車に関わる講習会の講師などをしているのだとか。
主に車と環境について研究され、エコな運転技術を広める活動をされているようですね。
長嶋正興のプロフィール
名前:長島正興(ながしま まさおき)
本名:長嶋正興(ながしま まさおき)
生年月日:1970年9月26日
年齢:52歳(2023年4月現在)
出身地:東京都大田区田園調布
血液型:B型
身長:179cm
体重:70kg
正興さんも、次女で姉の三奈さんと同じく公の場では『長島』の表記を使用されています。
親の七光りで注目されることを嫌がっていたようです。
父が偉大すぎることで、葛藤があったのかもしれませんね。
長嶋正興の経歴
(画像引用:JGTC)
長島正興さんは暁星国際高等学校を卒業後、駒澤大学経済学部経済学科に進学されています。
高校時代にはアメリカ留学も経験されたそうです。
大学在学中の1992年からレース活動を始め、数々のレースで優勝を果たされています。
1999年から2000年:アメリカに渡り、フォーミュラ・アトランティックシリーズに参戦
2001年10月28日:全日本GT選手権第6戦でGT300クラス優勝
2003年:スーパー耐久クラス3シリーズチャンピオンになる
2003年:パイクスピーク・インターナショナル・オートヒルクライムに参戦
2006年:SUPER GTのGT300で日産・フェアレディZを安田裕信氏とともにドライブ
2008年:スーパー耐久クラス1のOCN@KoseiポルシェGT3JGNをドライブ
『パイクスピーク・インターナショナル・オートヒルクライム』は、別名•雲へ向かって登るレース と言われています。
ロッキー山脈内にある山『パイクスピーク』の標高2,862 m地点をスタートし、頂上までの標高差1,439 mを一気に駆け上がる過酷なレースです。
長島正興さんは、様々なジャンルのレースに挑戦されていたようですね。
国内では、スーパー耐久のシリーズチャンピオンや、全日本選手権レースでの複数回の優勝など、安定した成績を残しており、一定の評価を得ている選手でした。
しかし2008年に環境問題に取り組み始めると、レーシングドライバーは事実上引退しています。
そんな正興さんですが、レーシングドライバーとして活躍していた2000年に、チオビタドリンクのCMに出演されていました。
(こちらの動画の15秒から長島正興さんが出演されていたCMが見られます。)
長嶋一茂の兄弟仲が悪いって本当なの?
(画像引用:日刊ゲンダイ)
長嶋一茂さんの兄弟仲が悪い、という噂があるようですが、本当なのでしょうか。
長嶋一茂さんは、長嶋家の資産について相続放棄を表明されています。
相続を放棄することにした理由は「揉めたくないから」だそうですが、兄妹が4人もいて莫大な財産があれば、色々事情があるのかもしれません。
一茂は「週刊新潮」(新潮社)13年5月16日号が報じた”長嶋家家族崩壊”記事に対し名誉毀損で提訴していたが、15年5月に証人尋問のため出廷し、そこで長嶋家や親子の関係について「もともと長嶋家はバラバラです」と衝撃的証言をしたのだ。
例えば「新潮」記事では三奈との関係を「兄妹の絶縁状態は今も続いている」と書いているが、一茂は
「もともと長嶋家はバラバラで、母の生前も6人そろって旅行に行ったことも、食事だってそろってしたことは一度もないです」
と、そもそも家族が断絶していたことを証言。
引用元:excite
兄弟仲が悪くなる前から、家族仲自体があまり良くなかったと思われる証言ですよね。
長嶋家は理想の家族のイメージも強かったため、この証言は世間を驚かせました。
そんな兄弟の中で、長嶋一茂さんと特に不仲だと言われているのが、次女の三奈さんです。
元々、長嶋一茂さんの結婚に猛反対だったという三奈さんは、兄である一茂さんの結婚式にも参加されていません。
それでも、母・亜希子さんがご存命のうちは、大人同士波風を立てないようにうまくやっていたそうです。
しかし母・亜希子さんが亡くなってからは兄妹の溝は深まるばかりのようで、もう修復は難しいと言われています。
母・亜希子さんの死後、父・長嶋茂雄さんの世話をされているのは三奈さんで、長嶋茂雄さんは三奈さん側に付いているようです。
バーニングの周防郁雄社長や幻冬舎・見城徹社長が親子の仲介に入るなどしたが、確執は解消されるどころかさらに泥沼化し、年を経るごとに激しさを増していく。
15年正月に放映されたミスターのドキュメント番組『独占!長嶋茂雄の真実~父と娘の40年物語~』(TBS系)では、一茂に一切触れられないという異様さで、確執の根深さを改めて浮き彫りにした。
引用元:excite
2021年には長嶋一茂さんが、父・長嶋茂雄さんと絶縁状態であることを明かされています。
〈父とは、もう13年会っていない〉
筆者は、長嶋の長男・一茂(55)。
自身の連載「…。ハワイに行けないから…書いてみた。」(第9回)で父と13年間にわたり、絶縁状態にあることを初めて自ら明かしたのである。
引用元:週刊文春
どうやら、長嶋一茂さんは父・長嶋茂雄さんとも確執があり、長い間長嶋家とは関わっていないようです。
他の兄弟2人については、長嶋一茂さんと不仲であるという情報はありませんが、長嶋一茂さんが長嶋家で孤立しているのであれば、あまり関わりはないのかもしれませんね。
長嶋一茂のプロフィールと経歴
(画像引用:東京カレンダー)
タレントとして活躍されている長嶋一茂さんですが、タレントに転身される前はプロ野球選手でした。
そのポテンシャルはかなり高かったそうで、現役を引退後もいろいろな方々が長嶋一茂さんの身体能力の高さを絶賛されています。
「とてつもないポテンシャルを持っていましたよ。
体力が違うし、体は頑丈。
本気で野球に取り組んでいたら、スーパースターになっていたと思いますよ。
だって、一茂は1時間ノックを受けてもまったくバテないんだから。」
引用元:Sportiva
打席での一茂は「ハングリー精神がない(ように見えた)」という高木氏。
それでも、「体つきも何もかも、親父よりは上だったと思う」と、父親をしのぐほどの能力があったことは確かだと重ねて主張していた。
引用元:リアルライブ
正直、プロ野球ではあまり活躍できなかった印象のある長嶋一茂さんですが、その身体能力の高さは本物のようで、現役を引退後に始めた極真空手では東日本大会で優勝するなど、優秀な成績を収めていらっしゃいます。
長嶋一茂のプロフィール
(画像引用:ゴング格闘技)
名前:長嶋一茂(ながしま かずしげ)
生年月日:1966年1月26日
年齢:57歳(2023年4月現在)
出身地:東京都大田区田園調布
血液型:B型
身長:181cm
体重:90kg
ポジション:三塁手
長嶋一茂の経歴
(画像引用:Number)
長嶋一茂さんは小学生の頃、リトルリーグで野球をしていました。
しかし「長嶋茂雄の息子が入ってきた」と噂になったことで取材が来たり、入団希望者が数百人になったりと大騒ぎになってしまい、1度野球をやめてしまっています。
中学時代は陸上部に所属していましたが、高校は「父と同じ立教で野球がしたい」と希望して立教高等学校に進学しています。
長嶋一茂さんの主な経歴がこちらです。
1984年 立教高等学校を卒業
1988年 立教大学を卒業
1988年 ヤクルトスワローズに入団
1993年 読売ジャイアンツに入団
1996年 現役引退
立教高校ではもちろん野球部に入部しましたが、野球自体が久しぶりだったため最初はキャッチボールすら上手くできなかったそうです。
しかし、持ち前のセンスで2年生の夏にはチームで4番を任されるほどまでに成長しました。
高校を卒業後は立教大学に進学し、大学でも硬式野球部に入部すると1年生からレギュラー入りを果たしています。
4年生の時には、第16回日米大学野球選手権大会やアジア野球選手権大会の日本代表にも選ばれるほどの選手でした。
大学野球で活躍した長嶋一茂さんは、1987年のドラフト会議でヤクルトスワローズと横浜大洋ホエールズの2球団から1位指名をされ、1988年にヤクルトスワローズに入団しました。
入団1年目の春季キャンプから1軍に選ばれ、ミスター2世として注目される選手でしたが、1990年に監督が野村克也さんに変わると出場機会はだんだん減っていきました。
長嶋一茂さんは野村克也監督のID野球に全く馴染めなかったそうです。
野村克也さんは長嶋茂雄さんに対して否定的だったこともあり、息子としては複雑な心境だったでしょうね。
(画像引用:Number)
1993年に、父・長嶋茂雄さんが監督を務める読売ジャイアンツに金銭トレードで移籍しましたが、あまり目立った活躍をすることはありませんでした。
そして1996年のオフに、当時監督だった父・長嶋茂雄さんから戦力外通告を受けて現役を引退しました。
プロ野球選手を引退後は、個人事務所『ナガシマ企画』を立ち上げてタレント活動を開始しています。
(画像引用:テレビ東京)
実は、戦力外通告を受ける前に明石家さんまさんとゴルフをしていたという長嶋一茂さん。
その時にさんまさんから「選手をやめたら俺の番組全部に来い」と言われていたそうで、引退後本当にさんまさんのレギュラー番組全てに出演させてもらっています。
そんなことがあったため、長嶋一茂さんにとって明石家さんまさんは大恩人なのだそうです。
長嶋一茂さんは今でもバラエティで活躍していらっしゃいますが、最初にそのチャンスをくれたのが明石家さんまさんだったんですね。
明石家さんまさんは、長嶋一茂さんの面白さを見抜いていたかもしれません。
長嶋一茂の両親は父が長嶋茂雄で母は長嶋亜希子『実家の家族構成』
長嶋一茂さんの父は、言わずと知れたスーパースター・長嶋茂雄さんです。
長嶋茂雄さんには、「男の職場に顔出すな」というモットーがあり、母・亜希子さんはその言いつけを忠実に守り、メディアに登場されることはほとんどありませんでした。
縁の下の力持ちとして、長嶋茂雄さんを支えていらっしゃったのでしょうね。
亜希子さんは生前、『オフィスエヌ』の代表取締役としても長嶋家を支えていらっしゃいました。
そんな、長嶋一茂さんのご両親についてご紹介していきます。
長嶋一茂の父は長嶋茂雄で終身名誉監督
長嶋一茂さんの父である長嶋茂雄さんは、長い間読売ジャイアンツの監督を務め、通算1034勝、リーグ優勝5回、日本一2回、Aクラス12回という素晴らしい成績を残されています。
その功績が認められ、2001年に株式会社読売巨人軍の専務取締役終身名誉監督に就任されました。
87歳になられた現在でも、東京ドームに足を運ばれているようです。
巨人の長嶋茂雄終身名誉監督(87)=報知新聞社客員=が31日、東京Dを訪れ、開幕戦の中日戦を観戦した。
5回終了後には場内のオーロラビジョンで、指揮官と侍ジャパンの4人を激励する姿が紹介され、スタンドからは拍手が送られた。
引用元:スポーツ報知
長嶋茂雄さんは、今でもジャイアンツファンから愛されていらっしゃるようですね。
長嶋茂雄のプロフィール
(画像引用:スポーツ報知)
名前:長嶋茂雄(ながしま しげお)
愛称:ミスター、ミスタープロ野球
生年月日:1936年2月20日
年齢:87歳(2023年4月現在)
出身地:千葉県
血液型:B型
身長:178cm
体重:76kg
ポジション:三塁手
長嶋茂雄の経歴
長嶋茂雄さんは、幼少期からプロ野球選手に憧れていたそうです。
ただ、当時はまだ戦後間もない時期だったため、道具を揃えることが難しい時代でした。
小学校6年生の時に兄が所属していた地元の青年野球団のハヤテ・クラブに入団し、兄に教えられながら、ショートの守備を練習していったそうです。
翌年に中学校へ入学すると、野球部に入部して本格的に野球を始めています。
1951年4月:千葉県立佐倉第一高等学校に入学、野球部に入部
1954年:立教大学経済学部に進学
1958年:読売ジャイアンツ入団
1974年 現役引退
野球を始めた頃からショートの守備をされていた長嶋茂雄さんですが、高校生の時にサードにコンバートされています。
大学に進学した年の6月に父が急逝され、それからは母が1人で長嶋家の生計を支えていたそうです。
そんな母から「在京の球団に行って欲しい」と懇願されて、長嶋茂雄さんは読売ジャイアンツへの入団を決意されたと言われています。
本当は大阪に本拠地のあった南海ホークスへの入団を希望していたようです。
1958年に読売ジャイアンツに入団すると、ルーキーイヤーから主力として活躍し、その年の新人王を獲得されています。
長嶋茂雄さんの現役時代の主なタイトルがこちらです。
首位打者:6回
本塁打王:2回
打点王:5回
最多出塁数:3回
最多安打:10回(6年連続、通算10回は日本記録)
セ・リーグMVP:5回
ベストナイン:17回
日本シリーズMVP:4回
1974年の引退セレモニーでは、「我が巨人軍は永久に不滅です!」という名言を残し、惜しまれながら現役を引退されました。
引退翌年の1975年からは、読売ジャイアンツの監督に就任しています。
長嶋一茂の母は長嶋亜希子ですでに他界
長嶋一茂さんの母・亜希子さんは、2007年9月18日に亡くなっています。
亡くなる前日の2007年9月17日、長嶋一茂さん夫婦と会食後に体調不良を訴えた亜希子さんはそのまま入院しました。
すぐに家族が駆けつけましたが意識が戻ることはなく、2007年9月18日午前4時33分、心不全のため帰らぬ人となりました。
長嶋亜希子のプロフィール
名前:長嶋亜希子(ながしま あきこ)
旧姓:西村亜希子(にしむら あきこ)
生年月日:1943年1月5日
享年:64歳(2007年9月18日没)
出身地:東京都渋谷区
長嶋一茂さんによると、母・亜希子さんのお墓はハワイにあるそうです。
長嶋亜希子の経歴
(画像引用:時事通信)
長嶋亜希子さんは、マルチリンガルでとても頭の良い方だったとそうです。
日本語、英語、フランス語、スペイン語の4ヶ国語が話せたのだとか。
すごいですね。
亜希子さんは田園調布雙葉中学校・高等学校在学中にアメリカへ留学し、ミネソタ州の聖テレサ大学を卒業しています。
英語、フランス語、スペイン語が話せるようになったのは、この留学経験があったからのようです。
そして1964年に行われた東京オリンピックでは、堪能な語学力を活かしてコンパニオンとして活躍されました。
長嶋茂雄さんと結婚後は、メディアに出てくることはほとんどありませんでしたが、2002年に環境省の「環の国くらし会議」メンバーに選出されると、主婦の視点で環境問題について発言されました。
両親(父・母)の馴れ初めと結婚式を紹介
長嶋茂雄さんと亜希子さんは、知り合って40日でスピード婚約をされたそうです。
付き合って40日ではなく、知り合って40日とはすごいですね。
どうやら、長嶋茂雄さんが亜希子さんに一目惚れをして猛アタックしたようですよ。
そんなお二人の馴れ初めから超豪華な結婚式までをご紹介していきます。
両親(父・母)の馴れ初めは
先述したように、亜希子さんは堪能な語学力を活かして1964年の東京オリンピックでコンパニオンとして活躍されていました。
オリンピック終了後の1964年10月、長嶋茂雄さんが王貞治さんと一緒に報知新聞の特別記者として東京オリンピックを取材する中で、コンパニオンの女性達と対談する機会があったそうです。
そこにいたコンパニオンの1人が亜希子さんでした。
亜希子さんに一目惚れをした長嶋茂雄さんは猛アタック。
同年11月にはお二人の婚約が発表されました。
そして翌年の1965年1月26日に結婚。
本当に、すごいスピード婚だったんですね。
両親(父・母)の結婚式が豪華すぎた
1965年1月26日、長嶋茂雄さんと亜希子さんの結婚式が執り行われました。
結婚したとき長嶋茂雄さんはすでにスターだったため、この結婚式は日本中が注目する大イベントとなりました。
結婚式はカトリック渋谷教会で行われ、証人は読売巨人軍代表取締役の正力亨夫妻が務められたそうです。
(画像引用:朝日新聞)
挙式後、披露宴がホテルニューオータニの『芙蓉(ふよう)の間』で行われました。
芙蓉の間は約250坪もの広さがある会場で、披露宴には350人もの方々が出席されました。
マスコミも200人以上がつめかけていたそうです。
披露宴では、高橋読売新聞社副社長、清水与七郎日本テレビ社長、川島正次郎自由民主党副総裁、松下正寿立教大学総長、川上哲治巨人軍監督らが祝辞を述べられました。
挙式、披露宴にかかった費用は1000万円とも言われており、豪華絢爛な披露宴だったようですね。
まとめ
長嶋一茂さんの実家の家族構成をまとめました。
どうやら長嶋一茂さんは、実家のご家族とはもう何年も連絡すらとっていないようですね。
普段テレビでお見かけする明るいイメージからは想像できませんが、いろいろと複雑な事情があるのでしょう。
今後も長嶋一茂さんに注目していきたいと思います。
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