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【画像】山上徹也の家族構成まとめ!母は育児放棄して生い立ちが壮絶!

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2022年7月8日、安倍晋三(あべ しんぞう)元首相が演説中に銃で撃たれ、帰らぬ人となりました。

安倍晋三元首相を襲撃し現行犯逮捕されたのが山上徹也(やまがみ てつや)被告です。

山上徹也(やまがみ てつや)被告は、2023年1月に鑑定留置を終えて起訴されています。

しかし、山上徹也被告のあまりにも壮絶な生い立ちが明らかとなり、減刑を求める署名運動をする方も出てきています。その署名は2000人を超えているのだとか。

そこで今回は、『山上徹也家族構成まとめ!生い立ちが壮絶で母は育児放棄していた!』として山上徹也被告の壮絶な半生をまとめました。

安倍晋三(あべ しんぞう)元首相についてはこちらの関連記事をお読み下さい。

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【画像】山上徹也の家族構成は5人!両親や兄弟を紹介

山上徹也被告は3人兄妹の5人家族ですが、父と兄はすでに亡くなっています。

父:他界(1984年12月)

母:統一教会信者 70歳

兄:他界(2015年11月)

山上徹也 42歳

妹:38歳

※2023年7月現在

山上徹也被告の妹さんが生まれたのは、父親が亡くなった約2ヶ月後だったそうです。

山上徹也の父は京大卒のエリートだった

画像引用:ダイヤモンド・オンライン

山上徹也被告の父は母子家庭で育ち、子供時代は極貧生活だったそうです。

「貧乏な生活から抜け出すには勉強しかない」と寝る間も惜しんで勉強し、大阪府立天王寺高校(偏差値75)から京都大学工学部に入学されました。

大学では土質の研究をされていたそうです。

麻雀にハマって1年留年されたりもしたようですが、1970年に無事に京大を卒業し、大手建設コンサルタント会社に就職、大阪支店に勤務されていました。

山上徹也被告の父はかなりのエリートだったようですね。

山上徹也被告の母と結婚後に、義父が経営していた建設会社に平社員として入社し、部長職などを経て、最終的には取締役を務めていたそうです。

幼少期の山上徹也被告は、金銭的にはかなり裕福な家庭で育っていたようです。

しかし山上徹也被告の父は、山上徹也被告が4歳の時に自◯して亡くなっています。

山上徹也の母が『朝起(あさおき)会』から統一教会に入信した理由

画像引用:Amebaownd

山上徹也被告の家庭が崩壊していった背景には、いろいろな要因が重なっているようですが、きっかけの1つは母が『朝起会』に入ったことにあったようです。

画像引用:Amebaownd

『朝起会』とは、実践倫理宏正会という社団法人が行なっている活動で、朝5時から6時頃に開かれている会です。

実践倫理宏正会は一応宗教ではないことになっていますが、研究者の方々からは『宗教団体』とみなされている団体です。

「実はお母さんが『朝起(あさおき)会』という宗教にはまっていたんです。

周囲を勧誘することはなかったのですが、子育てをほっぽらかしにしていて、その宗教の集まりがあるからと、朝の5時とかに出かけてまうんです。

当時、2歳か3歳かの男の子が冬も裸足で家の外に出てきて、泣きながら母親を探してるんですわ。ご主人もなんもせんとね。

おしっこやうんちで重くなったおむつをはいているから、半ケツ状態で可哀そうでした」

引用元:デイリー新潮

お尻が半分見えるほど重いオムツになっても交換してもらえていなかったなんて、相当長時間放置していたことになります。

当時は父親もうつ状態だったそうなので、子供達は本当に放置されていたのでしょう。

この頃、山上徹也被告の父が自◯して亡くなっているのですが、実はその3年前には、山上徹也被告にとっての母方の祖母が亡くなっていたそうです。

祖母は、山上徹也被告の母にとっては心の支えになっていた方だそうで、母はその死にかなりのショックを受けてしまい、朝起会に救いを求めてしまったのかもしれません。

1981年頃? 祖母が亡くなる

1984年 父が自◯

1990年 兄が小児がんで大手術

祖母が亡くなってからというもの、山上徹也被告の母にとっては辛い出来事が続きました。

だんだん1人では抱えきれなくなっていったのでしょう。

心の拠り所を求めて、1991年に統一教会に入信したようです。

「献金が即2000万円、入会とほぼ同時に。

さらにすぐ3000万円。

3年後くらいに現金で1000万円。

合計6000万円ですね。

その原資は父親の保険金です。命の代償です」。

引用元:ABCニュース

母は、統一教会に入信すると多額の献金を繰り返し、それが家族の生活を困窮させる原因となっていきました。

「新宗教は基本的に現世利益を売り物として強調しますから、いま自分の人生が不幸だと思っている人ほどカルトにはまって、洗脳されてしまうのです。

壺に何千万円も払うなど傍から見れば愚かな行為ですが、当人からすれば犠牲が大きいほど救いも大きいと思い込まされているのです

引用元:AERAdots

生活が困窮するほどの献金は絶対によくありませんが、母だけは統一教会の信仰に傾倒していくことで救われていたのでしょう。

事件後に取材を受けた山上徹也被告の叔父も、

洗脳が解けたら逆にかわいそうや。

生きていくうえでの拠り所を失うことになるから。

70歳になる人間の拠り所を奪うようなことは、せんほうがいい。

引用元:東洋経済オンライン

と語られています。

山上徹也の妹も統一教会に入信している?

山上徹也被告の妹さんが統一教会に入信しているという情報はありません。

親が信者の場合、親子で信者となるケースが多いイメージですが、兄である山上徹也被告も入信しておらず、妹も信者ではない可能性が高そうです。

というのも、山上徹也被告が鑑定留置されている間、弁護士と妹さんだけが接見を許されていたようなのです。

親族によると、鑑定留置中、山上容疑者との接見は弁護人と妹のみに認められ、妹はこれまでに2度接見した。

山上容疑者は、妹が仕事を休んで来ていることを知ると、「大変だからもう来なくていい」と気遣い、昨年11月以降は手紙でやりとりしていた。

手紙には、差し入れを希望する衣服や本を記していたという。

一方、母親は接見を禁止されていた。

引用元:読売新聞オンライン

山上徹也被告は統一教会への恨みが強かったようですから、もし妹さんも信者なら面会は認められていないのではないでしょうか。

また、叔父の話によると、妹さんも現在は母親とは距離を置いているようです。

妹のB子は自分の家に戻る途中だったが、母A子が(伯父宅を)出ていったと聞いて引き返してきた。

それからB子は、夜12時頃までA子に何度も電話、メールをしたけど返信がない。

翌朝、B子は台所で目を腫らして泣いていた。

明け方、A子から電話があり「元教会長の便宜でホテルに泊まっている」と語ったそうだ。

A子が「世間に謝りたい」と言うので、B子は「てっちゃんと私には一度も謝ってないんちゃうか」と怒ったそうです。

A子は「ごめん」と答えるだけだったそうだが、B子は「今さら空々しい」と突き放した。

引用元:東洋経済ONLINE

妹さんも、母の行き過ぎた信仰や困窮した生活、山上徹也被告が起こした事件など、家族のことで辛い思いをされ続けているのではないでしょうか。

山上徹也のプロフィールと経歴

画像引用:文春オンライン

山上徹也被告は中学生時代、「勉強もスポーツもできて穏やかで優しい」そんな日の打ちどころがない子だったそうです。

当然周りからも一目置かれていました。勉強を聞きにいく子も多かったのだとか。

性格はおとなしくて、目立つことをするタイプではなかったそうです。

父も京大卒のエリートでしたし、父方の叔父も弁護士をされていたそうなので、頭の良い家系なのではないでしょうか。

山上徹也のプロフィール

画像引用:毎日新聞

名前:山上徹也(やまがみ てつや)

生年月日:1980年9月

年齢:42歳(2023年7月現在)

出身地:奈良県奈良市

出身校:奈良県立郡山高等学校

趣味:映画鑑賞、読書、PCゲーム

山上徹也の経歴

画像引用:読売新聞オンライン

山上徹也被告は奈良県立郡山高等学校を卒業しています。

この郡山高校は、偏差値68の奈良県有数の進学校です。

しかし、山上徹也被告は大学へは進学していません。

頭脳は明晰だし勉強する意欲もあった。

ところが家庭の経済状況から大学進学は断念せざるをえなかった。

引用元:東洋経済オンライン

公務員試験の予備校で勉強し、消防士を目指していましたが合格することはできませんでした。

その後、海上自衛隊に入隊するも3年ほどで退官し、その後は職を転々としていたようです。

しかし、そんな生活をしながらも、

2007年7月 測量士補

2007年10月 宅地建物取引士

2008年3月 ファイナンシャルプランナー二級

といった難しい資格を次々取得しており、懸命にやり直そうとしていたことが想像できます。

立ち直そうとしていたんだろうな。でも兄の自殺によって、徹也は希望を持ち続けることすらできなくなったんじゃないか。

引用元:東洋経済オンライン

しかしなかなか仕事が続かず、派遣先を次々と変える生活を続けていたようです。

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【画像】山上徹也の家族|父と兄は自〇し母は育児放棄し生い立ちが壮絶

画像引用:現代ビジネス

山上徹也被告については、母親の統一教会への献金問題ばかりがクローズアップされがちですが、母が統一教会に入信する前からずっと壮絶な生い立ちだったようです。

幼少期に父が自◯、母が育児放棄、困窮した生活、1歳上の兄の自◯。

病気ではありましたが、兄とは1歳違いで年も近かったので、幼い頃から支えあってきたのではないかと思います。

そんな兄を失い、山上徹也被告の孤独感も強まっていったのかもしれません。

事件を起こす前は、妹とも4年以上連絡をとっていなかったのだそうです。

山上徹也の幼少期から学生時代

画像引用:SmartFLASH

山上徹也被告は4歳で父を亡くすと、家族で奈良市内の母方の祖父の家に引っ越しています。

それからは祖父と母、山上徹也被告、兄妹の5人で暮らしていました。

祖父が生きている間は、金銭的に困ることはなかったようです。

地元の小学校から中学校に進み、中学ではバスケ部に入部、3年生になるとレギュラーとして活躍していたといいます。

小柄でしたが運動神経は抜群に良かったそうです。

あだ名は「徹也」からとった「こてつ」。

中学校の卒業アルバムの写真には氏名の下には「こてつ」。

このニックネームを本人も気に入っていたようだという。

同級生は「成績がバツグンだった」と話した。

引用元:日刊スポーツ

勉強も運動も出来る優等生で、先生からも一目置かれていたのだとか。

そんな山上徹也被告は、奈良県でも有数の進学校である奈良県立郡山高校に進学しています。

画像引用:朝日新聞

高校では応援団に所属していました。

しかし、学校生活では周りと距離をとり、1人で過ごしていることが多かったそうです。

画像引用:デイリー新潮

当時の担任も、「記憶に残っていない」と言うほど、目立たない生徒でした。

そして、山上徹也被告が高校生の頃に、一緒に住んでいた祖父が亡くなっています。

「進学校の、しかも成績上位者だったにもかかわらず、家庭の経済状況から大学進学はできず、専門学校に進んだようです」(捜査関係者)

引用元:NEWSポストセブン

祖父が亡くなり、経済的に苦しくなったことで、山上徹也被告は大学に進学することを諦めたのだと思います。

山上徹也の高校卒業後から現在まで

画像引用:デイリー新潮

山上徹也被告は1999年に高校を卒業後、叔父の支援を受けて公務員試験の予備校に通っていました。

2001年頃まで、消防士になるための公務員試験を何度か受験したそうです。

しかし、筆記試験は通過するものの、極度の近眼がネックとなってしまい、最終的に合格することはできませんでした。

大学に行きたくても経済的に行けない、消防士になりたくても目が悪くてなれないなんて、20歳くらいの若者には辛い現実だったのではないでしょうか。

画像引用:Twitter

それでも山上徹也被告は、2002年からは海上自衛隊に入隊しています。

広島の親戚に海自の関係者がおってな。

徹也も佐世保教育隊を経て、呉の海上自衛隊基地の実習部隊に配属されることになった。

引用元:東洋経済オンライン

海上自衛隊では、2002年12月に「まつゆき」に配属されると、見習いとして砲雷科に勤務し、2003年4月からは広島の江田島にある第一術科学校に所属する練習船へ配属されていたそうです。

しかし2005年2月14日、山上徹也被告は自◯未遂をしてしまいます。

ベンジン50ミリリットルとアルコールを飲み干したのだとか。

2005年の2月、海自から私のところへ連絡があった。徹也が自◯未遂をしたと。

母親と連絡が取れないから連絡先を教えてほしいという問い合わせだった。

海自が作成した事情聴取の報告書によると、

徹也は「統一教会によって人生をめちゃくちゃにされた。兄・妹の生活が困窮しているので、私の死亡保険金を渡して助けてやりたい」と語っていた。

引用元:東洋経済オンライン

この頃山上徹也被告の実家では、病気の兄と高校生の妹が食べるものもなく、光熱費の支払いも滞るほど困窮した生活を送っていたようです。

そんな中でも母親は統一教会の信仰にのめり込んだまま。

母は息子が自◯未遂をしたと聞いても、修行が終わるまで韓国から帰国することはなかったそうです。

山上徹也被告は自◯しようとした際、自分の生命保険の受取人を母から兄と妹に変更していました。

一命と取り留めた山上徹也被告は、2005年8月に任期満了に伴い海上自衛隊を退官しています。

退官時の階級は海士長だったそうです。

海上自衛隊を退官後は、母のいる実家に戻っています。

他に行くところがなければ仕方がないですね。

実家に戻った翌月からは測量会社でアルバイトを始めました。

海上自衛隊を退職した2005年以降、少なくとも8回の転職を繰り返していたことが関係者への取材で明らかになった。

最も長い勤務期間は2年足らずで、同僚との人間関係を理由にした退職理由が目立つ。

引用元:毎日新聞

職を転々としていた山上徹也被告は、2020年10月16日に奈良県内の派遣会社に登録すると、京都府の工場で働き始めたそうです。

工場には軽自動車で出勤し、週5日朝8時から夕方5時まで黙々と働いていました。

フォークリフトで荷物を運ぶ業務を行っていたようです。

周りが関心するほど最初は勤務態度も良かったのだとか。

ところが2021年春頃からだんだん態度が変わっていきます。

山上容疑者が勤務していた工場の責任者

「働き始めて半年くらいは非常におとなしくて良好な勤務態度だったという報告を受けていまして、ただ半年くらいたったころから、作業を手順通りに行わない、それを注意してもなかなか聞き入れてくれない、厳しく叱責すると反抗的な態度をしめすようになった。

徐々に慣れてくるに従ってわがままな態度をしめすようになった」

引用元:日テレニュース

この頃、銃を作り始めたとみられています。

とはいえ、初めから安倍晋三元首相を狙っていた訳ではなく、元々は統一教会のトップである韓鶴子(ハン・ハクチャ)氏を狙っていました。

韓鶴子氏とは、統一教会教祖の文鮮明(ムン・ソンミョン)氏の妻で、現在は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の総裁を務めている方です。

(画像は、左が文鮮明氏、右側の女性が韓鶴子氏です。)画像引用:日刊ゲンダイ

しかしこの頃は新型コロナウイルスの影響で、韓鶴子氏が来日する機会がなくなっていた時期でした。

そんな時、山上徹也被告はある動画を目にします。

画像引用:NEWSポストセブン

それは、安倍晋三元首相が「天宙平和連合(UPF)」という、統一教会系の組織の集会にビデオメッセージで出演している動画でした。

メッセージでは、

今日に至るまでUPFとともに世界各地の紛争の解決、とりわけ朝鮮半島の平和的統一に向けて努力されてきた韓鶴子総裁をはじめ、皆さまに敬意を表します。

引用元:NEWSポストセブン

などと語られており、この動画を見た山上徹也被告の中で、ターゲットが韓鶴子(ハン・ハクチャ)氏から安倍晋三元首相へと変わっていきます。

「家庭を壊した団体を日本に招いたのが岸氏で、その孫の安倍氏を狙った」

引用元:NEWSポストセブン

こうして、狙いを安倍晋三元首相に絞った山上徹也被告は、自分の持つ知識やYouTubeを参考に自作の銃を完成させました。

画像引用:西日本新聞

2022年5月には派遣先の工場も退職し、山の中で自作の銃の試し撃ちを繰り返し行なったそうです。

仕事を辞めたことで、金銭的に苦しくなっていった山上徹也被告は、「所持金も尽きたし、死ぬ前にやってやろう」と決意し、事件の前日の2022年7月7日に銃を持参して岡山県に向かっています。

岡山では安倍晋三元首相が常にSPに囲まれていたため計画を断念し、自宅のある奈良県に帰ることにしました。

しかし山上徹也被告は岡山からの帰りの新幹線の中で、翌日に安倍晋三元首相が奈良県に演説に来ることを自民党のホームページで知り、再び襲撃を決意します。

そして翌日の2022年7月8日、最寄り駅の隣の近鉄大和西大寺駅前で、安倍晋三元首相を自作の銃で襲撃しました。

画像引用:日刊スポーツ

1発目は外れましたが、2発目が安倍晋三元首相に着弾し、心肺停止状態となります。

襲撃後はすぐにSPに取り押さえられ、午前11時32分現行犯逮捕されました。

山上徹也被告は逮捕後、統一教会への恨みや母親との関係、銃の自作についてなど、事件に至った経緯を少しずつ話し始めました。

あまりにも壮絶な生い立ちが明らかとなったため、減刑を求める署名運動も行われており、現在でも賛否両論が巻き起こっています。

画像引用:日テレNEWS

刑事責任能力を問うため5ヶ月半の鑑定留置を受けた山上徹也被告は、刑事責任能力有りと判断されたため、2023年1月13日に起訴されました。

そして一連の捜査が終了した2023年2月14日、大阪拘置所に移送されています。

山上徹也の父と兄は自○し母は育児放棄

画像引用:読売新聞オンライン

山上徹也被告の父と兄は自◯しています。

自◯する前、山上徹也被告の父は酒浸りの生活を送り、アルコール中毒になっていたそうです。

過労とアルコール中毒でうつ状態だった。

京都大学工学部卒業で、学者の道を志していたほどまじめな男だっただけに、裏金が飛び交う業界の常識に懊悩(おうのう)していた。

現金を持ち運ぶ仕事までやったと本人から聞いたことがある。

限界だったのだろう。

引用元:東洋経済オンライン

奥さんが相当宗教に入れ込んでしまったみたいで、旦那さんはノイローゼやったようです。

最後は近くのマンションから飛び降りて自殺しはってね、それは近隣で話題になりましたわ。

引用元:デイリー新潮

この頃、山上徹也被告の母が入れ込んでいたのが先述した『朝起会』です。

画像引用:Twitter

家には空の一升瓶が転がり、父の呂律の回っていない怒鳴り声が響いていたそうです。

母は『朝起会』の集会で朝早くから不在、父はアルコール中毒で家も散らかっているなんて、今の時代なら児童相談所に通報されそうなレベルです。

そして1984年12月、山上徹也被告の父は当時住んでいた家の近所にあったマンションから飛び降りて自◯しました。

場所は当時の自宅から歩いて5分ほどの距離にある79年築の12階建てのマンションだった。

周囲では一際高い建築物だったため、度々飛び降りがあったという。

引用元:デイリー新潮

父の自◯から1年もしないうちに、山上徹也被告と母・兄・妹の4人は、奈良市内にあった母方の祖父の住む一軒家に引っ越ししています。

長男は生まれてすぐにリンパ腫が判明し、あごが次第に膨らんできた。

抗がん剤治療を受けたが、その副作用で片目を失明した。

小学生の頃にはリンパ腫が脳に転移し、頭蓋骨を開く手術をしている。

5時間にわたる大手術で輸血が必要だったから、私も血液を提供した。

引用元:東洋経済オンライン

兄は病気のため、あまり体が強くなかったと思われます。

しかし運動神経は良かったようで、子供の頃には野球もしていたそうです。

でも、「もし見えている方の目にボールが当たって見えなくなったら困る」と母が心配し、野球を辞めさせられたのだとか。

そんな母が統一教会に入会したのは、小学生だった山上徹也被告の兄が手術を受けた1991年頃だと言われています。

とはいえ母方の祖父が亡くなった1998年頃までは、祖父の援助もあって生活に困ることはなかったようです。

しかしその後も続いた母の統一教会への献金は家計をひっ迫し、一家はかなりの極貧生活を送るようになっていったのだそうです。

1999年には自分や子どもたち3人が暮らしていた家まで売却してしまった。

これはひどかった……。

家族は家を失い、その後は借家を転々とする生活を送ることになったんだよ。

引用元:東洋経済オンライン

祖父が亡くなった翌年には家を売却してしまったようですね。

その後2002年に、母は破産してしまっています。

多額の献金をくり返し、山上容疑者ら3人の子どもは家に食べるものがないほど困窮したという。

統一教会の本部がある韓国まで修行に出掛けて何日も家を空けることもあり、実質的にネグレクト(育児放棄)の状態にあったようだ。

引用元:AERAdot

子供たちはその間、食べるもんがなかったんですよ。

だって、母親が日本におらんかったからね。

自分は韓国に行き、ずっと放っておいた。

ネグレクトどころではない、もっとひどい状態です。

引用元:デイリー新潮

病気で思うように働けなかった山上徹也被告の兄は、自分で食事の支度もできないような状態だったそうです。

山上徹也被告の兄が自ら伯父に助けを求めたこともあったのだとか。

2004年、徹也の兄から私に電話があった。

「母親が韓国に行ったきり、帰ってこない」と。

しかも「食べ物が尽きて、何日も食べてない」という。

徹也の兄はこの頃から病状が悪化しており、外で働けるような身体ではなくなっていた。

妹のB子も高校をやめてアルバイトをしていたが、家庭を支えるような力はなかった。

兄からの電話を受けてびっくりしてね。

私と家内は急いでスーパーへ行き、にぎり寿司とか缶詰なんかを買って持っていった。

引用元:東洋経済オンライン

この頃には、母は統一教会のことが何よりも大切だったのでしょうね。

幼い頃に父を亡くし、母からは育児放棄されていたなんて、幼い3人の子供達の心の傷は相当深かったのではないかと思います。

徹也の兄が自◯したのは、2015年11月のこと。

その頃には病状がかなり悪化していた。

前年には光熱費や家賃を補てんしていた妹B子も家を出ていて、A子と兄の2人だけで暮らしている状態だった。

医療費も生活費もままならない生活は悲惨だったはずだ。

引用元:東洋経済オンライン

悲惨な生活で、山上徹也被告の兄は将来を悲観してしまったのかもしれません。

兄の葬儀の時、徹也は大泣きしていた。なんで死んだんやと。

親戚の中には「せめて家(売却した実家)だけでも残っていたら、 何とかなったんちゃうか」という人もいた。

引用元:東洋経済オンライン

兄の葬儀での山上徹也被告の様子を見て、親戚の人たちは「この子はきっと大丈夫」と思ったのだそうです。

しかし、周囲の思っていた以上に山上徹也被告の心の傷は深かったのだと思います。

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まとめ

『山上徹也家族構成まとめ!生い立ちが壮絶で母は育児放棄していた!』をまとめました。

統一教会との関係ばかりが注目されがちですが、事件の背景にはさまざまな要因が組み合わさっていて、山上徹也被告の半生はかなり壮絶なものでした。

裁判も始まるので、法廷での証言や判決にも注目していきたいと思います。

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